江戸中期の曹洞(そうとう)宗の僧。肥後(ひご)(熊本県)三島に出生、父は今村玄珍。15歳のとき母と死別、これが契機となり、翌年熊本流長院の遼雲古峰(りょううんこほう)について得度、6年間の修行ののち正師を求めて江戸に遊学、芝青松寺の梅仙に師事する。時あたかも卍山道白(まんざんどうはく)、梅峰竺信(ばいほうじくしん)(1633―1707)による宗統復古運動に遭遇し多くの宗匠に会う機を得、ついに生涯の師となる奥州仙台泰心院の損翁宗益(そんのうしゅうえき)(1650―1705)に巡り会い、随従すること2年余、その法を嗣(つ)いだ。1705年(宝永2)相州(神奈川県)老梅庵(あん)に1000日間も門を開くことなく、打坐(たざ)(坐禅(ざぜん))と『正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)』の参究に尽力し、その後各地への講説と宗義の著述を開始し、1718年(享保3)肥後禅定(ぜんじょう)寺に住した。その間に豊後(ぶんご)(大分県)醍醐(だいご)寺、肥後清潭(せいたん)寺を再興、1729年若狭(わかさ)(福井県)空印寺に転住、「建康普説」を開示した。また1741年(寛保1)には永福庵(福井県小浜市奥田繩)を建立して隠栖(いんせい)、宗学諸分野の述作に専念した。最晩年に京都に出て全著述の出版と畿内(きない)、関東、西海への請いに応じて仏法の開示に奔走した。明和(めいわ)6年9月京都建仁寺西来(せいらい)庵で示寂。著書は『広録』26巻のほか、『聞解(もんげ)』『渉典(しょうてん)録』『事考』『頌古称提(じゅこしょうてい)』『史伝』『清規(しんぎ)』『戒法』『紀行』など、60部数百巻に及ぶ。
[小坂機融 2017年10月19日]
(志部憲一)
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…1651年(慶安4)にはじめて板本として世に出たが,そのときは,だれの書ともわからないが法理がすぐれているので版行したとさえ言われた。その後,面山瑞方(1683‐1769)が1758年(宝暦8)に序を書き,70年(明和7)になって刊行されたいわゆる《明和本随聞記》によって,懐奘の手になる嘉禎年間の記録であることが明らかになった。けれども,長らく中世における本書の伝承がわからないままであったが,1942年に愛知県長円寺において,いわゆる《長円寺本随聞記》が発見され,ここにはじめて室町期の《随聞記》の古体を知るにいたった。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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