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韋荘 いそうWei Zhuang

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

韋荘
いそう
Wei Zhuang

[生]開成1(836)?
[没]開平4(910).成都
中国,唐末の詩人,詞人。杜陵 (陝西省西安) の人。字,端己 (たんき) 。父はおん。中唐の詩人韋応物の子孫にあたるともいう。科挙を受けるため長安に出て,黄巣の乱に巻込まれ,10年あまり,主として江南を流浪。乱後,科挙に合格して進士となった。その後,西川 (せいせん) 節度使王建のもとに身を寄せ,唐滅亡後,王建が前蜀を建てて帝位につくと,宰相となって王建を助けた。諡は文靖。黄巣の乱中の長安の惨状をつぶさに詠じた七言古詩の長編『秦婦吟』が有名。人としては温庭 筠の艶麗な詞風を蜀に伝え,みずからも望郷,離別の情をうたって,温庭 筠と並んで『花間集』の代表作家とされる。生前,杜甫の浣花草堂を修復して,その一室に住んでいた。詞集を『浣花集』と呼ぶのはそれによる。

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デジタル大辞泉の解説

い‐そう〔ヰサウ〕【韋荘】

[836ころ~910]中国、晩唐の詩人。字(あざな)は端己(たんき)。杜陵(陝西省西安)の人。温庭筠(おんていいん)とともに唐五代の詞を代表する。唐末の都の荒廃をうたった長編の七言古詩「秦婦吟」が有名。

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世界大百科事典 第2版の解説

いそう【韋荘 Wéi Zhuāng】

836‐910
中国,晩唐の詩人。字は端己。長安杜陵(西安市)の人。韋応物の玄孫という。59歳で進士に及第し,3年後,蜀に派遣された。唐の滅亡後,前蜀の王建に仕えて宰相となった。唐末の動乱を題材にした七言の長編詩〈秦婦吟〉が代表作。また温庭筠とならんで,晩唐期のを代表する作家でもある。《浣花(かんか)集》10巻が伝わる。浣花の名は,杜甫の〈浣花草堂〉にちなむ。【荒井 健】

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大辞林 第三版の解説

いそう【韋荘】

836~910) 中国、晩唐の詩人。字あざなは端己たんき。王建の建てた前蜀ぜんしよくに仕えた。艶美の中に清淡さをそなえた詞に長じ、温庭筠ていいんらとともに晩唐の詞を代表する。長編詩「秦婦吟しんぷぎん」、詩文集「浣花かんか集」がある。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

韋荘
いそう
(836?―910)

中国、晩唐の詩人。字(あざな)は端己(たんき)。杜陵(とりょう)(陝西(せんせい)省西安)の人。黄巣(こうそう)の乱を洛陽(らくよう)に避けたとき、長安から逃れてきた一婦人より、都一帯の荒廃と悲惨のようすを聞き、長編の七言古詩『秦婦吟(しんぷぎん)』をつくって一躍有名になった。その後さらに江南に難を避け、10余年各地遍歴のすえ、都に戻り、894年(乾寧1)進士に及第、校書郎の官を授かった。901年(天復1)西蜀(せいしょく)に身を寄せ、907年(天祐4)唐が滅びると、前蜀(ぜんしょく)に拠(よ)って帝を唱えた王建に仕え、宰相に至った。
 その詩は平明で哀傷に満ちたものが多い。また新興の詞にも優れ、温庭(おんていいん)と並ぶ『花間集(かかんしゅう)』の代表詞人となっている。詞風は艶麗(えんれい)のうちにも清淡の趣(おもむき)を備え、独自の境地を築いている。唐詩集『又玄集(ゆうげんしゅう)』を編み、著に『浣花集(かんかしゅう)』がある。[青山 宏]
『中田勇次郎著『漢詩大系 24 歴代名詞選』(1965・集英社)』

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