中国、晩唐の詩人。字(あざな)は端己(たんき)。杜陵(とりょう)(陝西(せんせい)省西安)の人。黄巣(こうそう)の乱を洛陽(らくよう)に避けたとき、長安から逃れてきた一婦人より、都一帯の荒廃と悲惨のようすを聞き、長編の七言古詩『秦婦吟(しんぷぎん)』をつくって一躍有名になった。その後さらに江南に難を避け、10余年各地遍歴のすえ、都に戻り、894年(乾寧1)進士に及第、校書郎の官を授かった。901年(天復1)西蜀(せいしょく)に身を寄せ、907年(天祐4)唐が滅びると、前蜀(ぜんしょく)に拠(よ)って帝を唱えた王建に仕え、宰相に至った。
その詩は平明で哀傷に満ちたものが多い。また新興の詞にも優れ、温庭筠(おんていいん)と並ぶ『花間集(かかんしゅう)』の代表詞人となっている。詞風は艶麗(えんれい)のうちにも清淡の趣(おもむき)を備え、独自の境地を築いている。唐詩集『又玄集(ゆうげんしゅう)』を編み、著に『浣花集(かんかしゅう)』がある。
[青山 宏]
『中田勇次郎著『漢詩大系 24 歴代名詞選』(1965・集英社)』
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中国,晩唐の詩人。字は端己。長安杜陵(西安市)の人。韋応物の玄孫という。59歳で進士に及第し,3年後,蜀に派遣された。唐の滅亡後,前蜀の王建に仕えて宰相となった。唐末の動乱を題材にした七言の長編詩秦婦吟が代表作。また温庭筠とならんで,晩唐期の詞を代表する作家でもある。《浣花(かんか)集》10巻が伝わる。浣花の名は,杜甫の〈浣花草堂〉にちなむ。
執筆者:荒井 健
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