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韋応物 いおうぶつWei Ying-wu

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

韋応物
いおうぶつ
Wei Ying-wu

[生]開元23(735)?
[没]貞元20(804)頃
中国,中唐詩人。長安 (陝西省西安) の人。若い頃は任侠 (にんきょう) に身を投じ,玄宗近衛兵としてその寵愛を受けたが,玄宗の死後学問に励んだ。大暦 14 (779) 年,陝西省こ県から,櫟陽 (れきよう) の令になる辞令を返上して都へ帰り,善福寺精舎に住んだ。その後,左司郎中などを経て蘇州刺史となり,韋蘇州とも韋刺史とも呼ばれた。陶淵明を慕い,田園,自然を詠じた穏やかな詩風で,盛唐王維孟浩然,中唐の柳宗元とともに,唐代の自然詩人の代表的存在とされる。詩文集『韋蘇州集』 (10巻) 。

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デジタル大辞泉の解説

い‐おうぶつ〔ヰ‐〕【韋応物】

[737ころ~?]中国、中唐の詩人。京兆(陝西省西安)の人。蘇州刺史であったため韋蘇州とよばれる。陶淵明に心酔。自然詩人として、王維・孟浩然・柳宗元と並び称される。

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百科事典マイペディアの解説

韋応物【いおうぶつ】

中国,中唐の詩人。京兆長安(西安市)の人,大貴族の出身。若いころ近衛士官として玄宗に随侍した。〈性は高潔寡欲,いたるところ香をたき地を掃って坐した〉と伝える。田園山林に遊び,〈清明幽淡〉を歌う五言詩にすぐれ,陶潜に心酔した。

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世界大百科事典 第2版の解説

いおうぶつ【韋応物 Wéi Yìng wù】

736‐790?
中国,中唐の詩人。京兆長安(西安市)の人。青年時代は近衛士官として玄宗に仕えたが,安禄山の乱後,放浪生活のなかで読書に励んだ。蘇州(江蘇省)の刺史となったので韋蘇州と呼ばれる。青年時代を回想した詩にも佳作はあるが,本領を発揮するのは,閑適の幽情をのべた作品であり,王維・孟浩然を継承し,田園山林詩人の系譜に属する。《韋蘇州集》10巻が伝わる。【荒井 健】

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大辞林 第三版の解説

いおうぶつ【韋応物】

735?~790?) 中国、中唐の詩人。蘇州刺史ししとなり善政を行なったので韋蘇州と呼ばれる。五言詩を得意とし、その詩風は陶淵明に似る。王維・孟浩然・柳宗元と並び称された。詩文集「韋蘇州集」

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

韋応物
いおうぶつ
(737?―792?)

中国、中唐期の詩人。京兆(けいちょう)(陝西(せんせい)省)万年県の人。若いころ侠気(きょうき)を重んじ、玄宗の近衛(このえ)士官として奔放な生活を送ったが、安禄山(あんろくざん)の乱で職を失ってから、心を入れ替えて勉強に励んだ。洛陽(らくよう)(河南省)丞(じょう)、櫟陽(れきよう)(陝西省)令、比部員外郎、(ちょしゅう)(安徽(あんき)省)刺史(しし)、江州(江西省)刺史、左司郎中を歴任。蘇州(そしゅう)(江蘇省)刺史で終わったことから韋蘇州とよばれる。自然詩人として、「王(維)、孟(もう)(浩然(こうねん))、韋(応物)、柳(宗元)」と並称され、その詩風は「澄淡精緻(ちょうたんせいち)」と評されている。「君を懐(おも)うて秋夜に属し、散歩して涼天に詠ず。山空しうして松子落つ。幽人応(まさ)に未(いま)だ眠らざるべし」(「秋夜、丘二十二員外丹に寄す」)の詩句はよく知られる。『韋蘇州集』10巻、拾遺1巻がある。[丸山 茂]

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