改訂新版 世界大百科事典 「食糧政策」の意味・わかりやすい解説
食糧政策 (しょくりょうせいさく)
食糧の需給,流通,価格,貿易に関する政策の総称である。しかし日本では食糧政策としては,もっぱら主食,とくに米麦に関する政策に限定し,畜産物,青果物,魚介類などに関する政策は別途に扱われるのが普通である。これは,日本の食糧政策が歴史的にいって,もっぱら米麦(とくに米)から出発しており,なお現在も大きな比重を占めているからである。食糧政策の目的は,国民が必要とする食糧の安定供給を図ることにある。そのためには,生産者が安定的に生産を行うための対策が必要であるし,輸入の安定確保も図らねばならない。消費者に対しては食生活の安定を図らねばならないが,そのためにはなるべく安く安定した価格での供給が望まれる。こうした目的のために,食糧経済のさまざまな分野への政策的介入が行われるが,その中心はやはり価格政策であり,他の施策も結局は価格問題に帰着してくるものが多い。しかし安定供給のためには生産者にとっては食糧価格は高いほどよいし,食生活の安定のためには消費者にとっては食糧価格は安ければ安いほどよい。価格政策の問題はいつもこの両者の相克であり,この矛盾を財政負担でカバーしようとしてきたのが食糧政策の歴史であった。
日本の食糧政策の出発点は明治末であり,米価政策に始まった。日露戦争後,日本は米をめぐってようやく重要な選択に直面した。第1に国内生産だけでは不足しはじめた米の供給をどうするかということ,第2にようやく顕在化してきた社会問題への対策としての消費者米価の安定,さらに農村対策としての生産者米価の安定である。当初,米輸入関税として始まり,大正年間に米価調節政策として展開された食糧政策は,結局,植民地米増産を中心とする食糧自給政策と米穀法(1921公布)による価格調節・安定策として完成する。米穀法は米穀統制法(1933公布)へと引き継がれ,1935年ころまでの農村恐慌期,米過剰期には米価の一定の引上げ,安定のために機能した。しかし以後,戦時経済,米不足の時代には,食糧管理法へと引き継がれ,米価抑制と生産者からの供出の確保,消費者への最低量の公平な配給のために機能した。戦後の食糧不足時代も同様であり,この時期に前述した矛盾が最も鋭くあらわれ,行政と財政の介入による対策が拡大したのである。戦後の最重点政策は米の増産であったが,米の自給達成以後の米価政策は生産者保護を重点として運営され,米過剰が発生してからは生産者の所得補償と米生産の需要水準への抑制との兼合いで進められた。生産者米価を抑制する一方では,生産調整,転作のための財政支出が行われ,95年には食糧管理法に代わる食糧法が施行され,53年にわたって続いた食糧管理法が廃止された。新食糧法は計画流通制度という枠を残しているが,多くの点で自由化され市場原理に基づくものになった。政府買入れは備蓄用の政府米に限られる建前であったが,結果として過剰米が政府の手に集まって,価格維持の面からも生産調整が最大の課題として残っている。米は過剰であるが,他の食料の輸入依存はますます増加しており,国内供給熱量中の自給比率は42%,穀物自給率は29%(いずれも1996)であり,予想される食糧問題を控えて,食糧の安全保障は依然として日本の食糧政策の中心課題である。
→米 →食糧管理制度
執筆者:持田 恵三
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報