日本歴史地名大系 「高取城跡」の解説
高取城跡
たかとりじようあと
高取山(五八三・九メートル)山頂に所在。東は
越智氏は戦国期には興福寺一乗院方国民となっており、当城とは別に
「続南行雑録」所収の二条寺主家記によれば天文元年(一五三二)七月一〇日には南都の一向一揆が高取城を攻めたが落ちなかった。しかし越智氏はしだいに衰え、「多聞院日記」元亀二年(一五七一)九月二四日条に「タカ鳥ニテ越智民部
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報