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高橋進 たかはしすすむ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

高橋進
たかはしすすむ

[生]1902.1.1. 茨城,下妻
[没]1984.10.19. 東京,文京
宝生流シテ方の楽師。塚田勝美の三男だが,高橋頼治の養子となる。近藤乾三に師事し,のちに16世宝生九郎(知栄)の内弟子となる。1915年『鞍馬天狗』の花見で初舞台。1917年,17世宝生九郎(重英)の門下となり,1918年『岩船』で初シテ。1940年『道成寺』,1969年『卒都婆小町』を初演。『善知鳥』のシテで 1969年度芸術祭賞優秀賞,『卒都婆小町』で 1976年度芸術選奨文部大臣賞。1978年,重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定。地頭として抜群の統率力をもち,後進の育成にも尽力した。高浜虚子の門下で,著作に『すゝむ句集』(1972)がある。長男が高橋章,その息子が高橋亘。(→

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

高橋進
たかはしすすむ
(1902―1984)

能役者。宝生(ほうしょう)流シテ方。12歳で近藤乾三(けんぞう)に入門。続いて明治三名人の1人先代宝生九郎に師事。松本長(ながし)、野口兼資(かねすけ)の後輩として、田中幾之助(いくのすけ)の先輩として流儀に重きをなした。洒脱(しゃだつ)な人格、堅実、重厚な演技は能界の指標として仰がれ、その謡の力感、リズムのみごとさは比類がなかった。1978年(昭和53)重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定される。高浜虚子(きょし)門下として、俳句にも優れた作が多い。後継者に高橋章(あきら)、高橋勇(いさむ)がある。[増田正造]

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世界大百科事典内の高橋進の言及

【宝生流】より

…友于は官許を得て1848年(嘉永1)神田筋違橋(すじかいばし)御門外で晴天15日間の勧進能を興行したが,これは江戸時代の最後を飾る大能であった。 16世九郎知栄(ともはる)(宝生九郎)は維新の難関を切り抜け近代の能界をリードした名人で,弥五郎友于以来の門弟巳野喜松,命尾与作・寿六,日吉弥八,松本金太郎らの協力を得て活躍,華族や高級官僚の間に流勢を伸ばし,松本長(ながし),野口兼資(かねすけ),近藤乾三,高橋進(1902‐84。人間国宝),田中幾之助(1903‐83)ら逸材を育て,今日の宝生流の基礎をつくった。…

※「高橋進」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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