高湯温泉(読み)たかゆおんせん

日本歴史地名大系 「高湯温泉」の解説

高湯温泉
たかゆおんせん

[現在地名]山形市蔵王温泉

最上高湯・蔵王高湯ともよばれ、白布しらぶ高湯(現米沢市)信夫しのぶ高湯(現福島市)とともに奥羽三高湯と称された温泉。日本武尊の臣吉備多賀由が発見したとの伝承がある。「三代実録」貞観一五年(八七三)六月二六日条に「授出羽国正六位上酢川温泉神社従五位下」とみえ、当地の酢川温泉すかわおんせん神社の奉祀が平安時代にさかのぼるので、開湯はさらに古かったと推定されるが、宝永七年(一七一〇)頃の村々大概帳(横山文書)には、至徳元年(一三八四)温泉が湧出したとある。湧泉帯はりゆう山爆裂火口の噴気孔にあたるといわれ、泉質は濃酸性泉で水素イオンの濃度が強い。天保一五年(一八四四)刊の羽州村山郡最上高湯温泉之図には「まむしに咬れたるにハ早速此湯に浴すれハ毒気を去り治する事誠ニ寄々妙々也」とあり、また「一、第一しつひせんによし、一、頭つうめまひ立くらみによし、一、のほせ引さけたむしくひによし、一、のほせ目たたれ目によし、一、せんき小児かんによし、一、水くさしらやまたんによし、一、諸の腫物に妙によし、一、そんじ目一切眼病によし」と記されている。

高湯温泉
たかゆおんせん

[現在地名]福島市町庭坂 高湯

吾妻山東斜面、標高七五〇メートルにある高原の温泉で、信夫高湯しのぶたかゆともいう。二子塚ふたごづか村の五左衛門の先祖が発見したといわれ、五左衛門は代々運上金を納入、古いものでは文禄四年(一五九五)分の湯役銭の記録が残る(福島市史資料)近世初頭は庭坂にわさか村のうちではなかったが、貞享五年(一六八八)頃に編入されたという(同書)。その頃高湯の湯小屋経営が入札制となり、湯守を代々勤めてきた五左衛門から、小屋守の三四郎の孫長三郎になった(福島市史)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「高湯温泉」の意味・わかりやすい解説

高湯温泉
たかゆおんせん

信夫高湯吾妻高湯とも呼ぶ。福島県北部,吾妻火山群の北東麓にある温泉。標高約 750m。福島市に属する。蔵王温泉白布温泉とともに奥州三高湯の1つ。元湯と玉子湯に分れ,湯量は豊富。泉質は硫黄泉泉温は約 50℃。皮膚病などに特効。付近に吾妻山ヤエハクサンシャクナゲ自生地があり,天然記念物に指定されている。磐梯吾妻スカイライン開通によって,観光温泉地として発展磐梯朝日国立公園に属する。

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デジタル大辞泉プラス 「高湯温泉」の解説

高湯温泉

山形県山形市南東部、蔵王山にある蔵王温泉の旧称名称は日本武尊の臣、吉備多賀由(きびのたがゆ)が発見したとされることから。多賀由温泉、最上高湯、蔵王高湯とも呼ばれる。

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