日本歴史地名大系 「高田城跡」の解説
高田城跡
たかだじようあと
徳川家康の六男、
〔高田築城の理由〕
高田城が築城された慶長年間は、徳川家康が関ヶ原の戦で反対派を破って江戸幕府を開き、その後、大坂の陣で豊臣秀頼を滅ぼした時期にあたる。いわば幕府の基礎確立期であったが、まだ大坂城には豊臣秀頼、前田利常が加賀金沢に、その義父利長は越中
高田城跡
たかたじようあと
勝山町の中心部にある中世および近世の城跡。勝山城ともよばれる。現存の遺構は近世のもので、標高三二二メートルの
最初の築城は、関東より移居した三浦貞宗によるという。
高田城跡
たかだじようあと
国鉄桜井線・和歌山線に挟まれた
高田城は永享四年(一四三二)当麻為貞の築城と伝えるが(当麻氏系図)、当麻一族の高田居住はすでに鎌倉初期頃と考えられており、築城はかなり早かったと思われる。
高田城跡
たかだじようあと
高田城跡
たかだじようあと
高田城跡
たかたじようあと
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報