高神社
たかじんじや
多賀集落南東の小丘、字天王山に鎮座。南谷川に架かる宮ノ前橋を渡り、参道を登り詰めると西向きに本殿がある。境内周辺の丘には高神社古墳群が分布する。「延喜式」神名帳にみえる綴喜郡「高神社鍬靫」に比定される。祭神は伊弉諾命・伊弉冉命・菊理比売命の三柱。旧郷社。草創について嘉吉元年(一四四一)の「興福寺官務牒疏」は欽明天皇元年に綴喜郡兎手玉津岡に神霊が降臨し、そこに社祠を建てて祀っていたが、天平三年(七三一)九月庚午に井手左大臣橘諸兄が同郡高村卯辰の山方の下津磐根に遷座したとし、祭神として高御産日神・伊弉諾尊・素戔嗚尊を祀ったと記す。
高
神社
たかおかみじんじや
[現在地名]新市町藤尾 父尾
父尾集落を流れる神谷川の支流(古くは垢離川・降川などと呼称)の右岸約一二〇メートルの絶壁の上にあり、竜王社・八大竜王社などともいい、祭神は高
神・豊玉姫・志那都彦神・志那都姫神。江戸時代福山藩主水野氏・阿部氏らの崇敬厚く、本殿・拝殿・随身門などの再建・修復が行われ、また旱魃・大風雨の時には周辺の村々の農民らが集まって降雨・止雨の祈願を行ったと伝える。
当社の相殿に国高依彦神社を祀る。
高
神社
こうりゆうじんじや
[現在地名]十日町市中条 背戸
中条集落の東方、竜王山の杉森の中にある。祭神高
命・豊玉媛命。旧中条村の総鎮守。社伝によると、古くは字上ノ山の古屋敷にあったが、文禄二年(一五九三)に現在地に遷る。元弘三年(一三三三)新田義貞の鎌倉幕府打倒の旗揚げの際に従軍した大井田城主大井田経隆が、稲村ヶ崎(現神奈川県鎌倉市)の海神の奇瑞に感動して、凱旋後これを勧請したという。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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