髪結(読み)かみゆい

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

髪結
かみゆい

頭髪を結うことを職業とする者。江戸時代初期から専業となり,男子の髪結は店にあって営業し,女子の髪結は客の家を回って結髪した。中古,天皇の調髪を司る者を「袿 (うちき) の人」と呼び,紫色の袿を着て伺候した。寛政期 (1789~1801) には華美の風潮を喜ぶあまり,女髪結の全盛期を迎え,一時は幕府が女髪結禁止令を出すほどになったが,やがてこの禁令も無視された。「髪結の亭主」はかい性がない夫の代名詞として使われる。明治にいたって散切 (ざんぎり) 髪型の出現によって髪結床は理髪床に変り,現在の理美容店となった。しかし女子の髪型が日本髪型を残すかぎり,古来の髪結職も伝えられるであろう。

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百科事典マイペディアの解説

髪結【かみゆい】

髪を結う職人。平安・鎌倉時代には男性は烏帽子(えぼし)をかぶるために簡単な結髪ですんでいたが,室町後期には露頭(ろとう)や月代(さかやき)が一般的になり,そのため,結髪や月代そりを職業とする者が現れた。別に一銭剃(いっせんぞり),一銭職とも呼ばれたが,これは初期の髪結賃からの呼称とされる。また取りたたむことのできるような簡略な仮店(〈床〉)で営業したことから,その店は髪結床(かみゆいどこ),〈とこや〉と呼ばれた。近世には髪結は主に〈町(ちょう)抱え〉〈村抱え〉の形で存在していた。三都(江戸・大坂・京都)では髪結床は,橋詰,辻などに床をかまえる出床(でどこ),番所や会所の内にもうける内床があるが(他に道具をもって顧客をまわる髪結があった),ともに町の所有,管理下におかれており,江戸で番所に床をもうけて番役を代行したように,地域共同体の特定機能を果たすように,いわば雇われていた。そのほか髪結には,橋の見張番,火事の際に役所などに駆け付けることなどの〈役〉が課されていた。さらに髪結床は,《浮世床》や《江戸繁昌記》に描かれるように町の社交場でもあった。なお,女の髪を結う女髪結は,芸妓など一部を除いて女性は自ら結ったことから,現れたのは遅く,禁止されるなどしたが,幕末には公然と営業していた。→理髪店
→関連項目床屋

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世界大百科事典 第2版の解説

かみゆい【髪結】

髪を結うことを職業とする者。なまって〈かみい〉ともいい,その店をかみいどこ,かみどこ,とこやなどとも呼ぶ。日本では古来髪は自分で結うか,家人が手伝って結髪した。しかし宮中や貴族,武家階級などでは,衣装の着付や結髪,化粧をする役目の者が置かれていた。平安・鎌倉時代までは,男は一般に烏帽子(えぼし)をかぶる風があり,結髪はしごく簡単であった。室町時代の応仁の乱は風俗,慣習にも大きく影響し,かぶりものを脱した露頭(ろとう)や月代(さかやき)が行われるようになった。

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世界大百科事典内の髪結の言及

【化粧】より

…また化粧した美人の魅力や化粧品,化粧道具などについては浮世絵が,化粧品の作り方や化粧法などについては《都風俗化粧伝》や《容顔美艶考》などが,当時のマス・コミュニケーションの役割を果たしていた。しかし実際に化粧の流行を教え広めたのは女髪結で,1795年(寛政7)以来たびたびの禁令にもめげず増え続け,1853年(嘉永6)には江戸市中1400余人に達していた。1982年末の東京の美容院数1万4767軒と対比すると,人口比にしてほぼ一致する。…

※「髪結」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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