投馬国(読み)つまこく

百科事典マイペディア 「投馬国」の意味・わかりやすい解説

投馬国【つまこく】

3世紀の国(わこく)のなかの一国名。〈とうまこく〉ともよむ。《魏志(ぎし)倭人伝》には対馬(つしま)国・一大(一支,(いき))国・末盧(まつろ)国・伊都(いと)国奴(な)国・不弥(ふみ)国に続いて記載される国で,〈南,投馬国に至る水行二十日。官を弥弥(みみ)と曰い,副を弥弥那利(みみなり)と曰う。五万余戸可り〉とある。この戸数は,南にあるという邪馬台(やまたい)国の7万余に次ぐもので,規模の大きさがうかがえる。この投馬国は邪馬台国九州説にしたがえば,薩摩高城(たき)郡託万(たくま)郷,日向(ひゅうが)児湯(こゆ)郡の都万(つま)神社の一帯,肥後玉名郡・託麻(たくま)郡,筑後上妻(かみつま)・下妻などの比定地があり,また大和説では周防(すおう)佐婆郡玉祖(たまのや)郷,備後(びんご)鞆津(とものつ),出雲(いずも),但馬(たじま)などに比定されている。

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改訂新版 世界大百科事典 「投馬国」の意味・わかりやすい解説

投馬国 (つまこく)

〈とうまこく〉とも読む。3世紀の倭国の中の一国の名。《魏志倭人伝》にみえる。同書には,不弥国につづいて〈南,投馬国に至る水行二十日。官を弥弥(みみ)と曰い,副を弥弥那利(みみなり)と曰う。五万余戸可り〉とみえる。投馬国は邪馬台国九州説では,薩摩,日向児湯郡都万神社の地,筑後上妻・下妻などに比定され,大和説では,周防佐婆郡玉祖郷,備後鞆津,出雲,但馬などに擬せられている。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「投馬国」の意味・わかりやすい解説

投馬国
とうまこく

弥生(やよい)時代にあった原始国家の一つ。「つまこく」と読む説もある。『魏志倭人伝』(ぎしわじんでん)によると、不弥(ふみ)国に続いて、「南、投馬国に至る水行二十日。官を弥弥(みみ)といい副を弥弥那利(みみなり)という。五万余戸ばかり」(原漢文)とある。投馬国をどこに求めるか諸説に分かれるが、邪馬台国(やまたいこく)の位置とのかかわりで注目されている。邪馬台国九州説では宮崎県西都(さいと)市妻(つま)町付近、福岡県上妻(こうつま)・下妻(しもつま)および三潴(みずま)付近とし、大和(やまと)説では島根県出雲(いずも)説、広島県鞆(とも)説などが有力である。

[井上幹夫]

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「投馬国」の解説

投馬国
とうまこく

「つまこく」とも。「魏志倭人伝」に記される邪馬台国(やまたいこく)連合の一国。邪馬台国の直前に記される。倭人伝によれば邪馬台国につぐ大きさをもつ国で,官を弥弥(みみ),副官を弥弥那利(みみなり)といった。所在地には諸説があり,九州説では薩摩,筑後の上妻・下妻・三潴(みずま)(福岡県)などが,畿内大和説では備後の鞆津(とものつ)(広島県)や但馬などがあげられ,定説がない。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「投馬国」の意味・わかりやすい解説

投馬国
とうまこく

魏志倭人伝』にみえる国名。倭人伝にみえる国々のうち奴国 (なのくに) までは異論がなく,北九州とみられるが,次の不弥国,投馬国の所在地により次の邪馬台国が九州か大和かに論が分れる。この国には五万余戸があり,「みみ」「みみなり」という官がおかれたという。

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世界大百科事典(旧版)内の投馬国の言及

【投馬国】より

…《魏志倭人伝》にみえる。同書には,不弥国につづいて〈南,投馬国に至る水行二十日。官を弥弥(みみ)と曰い,副を弥弥那利(みみなり)と曰う。…

※「投馬国」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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