中国の宋代以後,土地税徴収の基礎として作成された官簿で,土地台帳の一種であり,《流水魚鱗冊》とも呼ばれた。丈量(検地)の第一段階である自丈に際して作成される。坵(きゆう)(一筆の土地)ごとに,その形状,周囲の長さ,四至(東西南北の境界)を図示し,所在地,地種目,面積(税畝),税負担率,負担額,業戸(土地所有者)と佃戸(小作人)の氏名などを登録した。台帳のはじめに総図を載せたが,これが魚の鱗のようにみえるので,〈魚鱗図冊〉と呼ばれた。魚鱗図冊がほぼ全国的に存在したのは明代のことである。清初,全国的土地丈量と魚鱗図冊再造が企てられたが,結局失敗し,江蘇や浙江などの一部地域でのみ作り直された。清朝以後,郷紳と胥吏(しより)(下級事務員)らによって構成される私徴集団が,包攬(請負い徴税)による恣意的な超重課税を行い,郷紳支配を展開しえたのは,全国的に魚鱗図冊が存在しなかったからである。
執筆者:西村 元照
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中国、明(みん)・清(しん)時代の土地台帳。起源は宋(そう)代にある。揚子江(ようすこう)下流域の江南地方からしだいに華南や華北にも広まった。初めに一定区域(江南では圩(う))の総図を載せ、そこの一筆ごとの地片が魚の鱗(うろこ)に似ていることから魚鱗図とよんだ。次に一筆ごとの土地の形状、周囲の丈尺(じょうしゃく)、四至(しし)を図示し、その下に地番、所在地、面積、税額、所有者名などが記され、ときに佃戸(でんこ)(耕作者)名も記入された。この帳簿は主として租税徴収の基礎となったが、水利工事などの公共事業の労働力調達にも利用された。民間でも、土地関係の訴訟の証拠や小作料(佃租)徴収帳簿の作成にも使われた。なお、魚鱗清冊、魚鱗流水冊ともいわれ、丈量(じょうりょう)によって作成された。
[川勝 守]
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宋代以後に作成された一種の土地台帳。土地の図形が魚の鱗(うろこ)に類似しているためこの名がある。土地丈量を伴う全国的な台帳作成は明の洪武(こうぶ)帝に始まり,清朝も明制を継承した。
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… ところで洪武帝の独裁体制の最も重要な基礎となったのは農民支配の強化であった。その方法として彼は81年,全国一斉に魚鱗図冊(土地台帳)と賦役黄冊(ふえきこうさつ)(戸籍資産台帳)を作成させた。とくに賦役黄冊は人民各戸の土地所有額,労働人口の変動などを記録したもので,以後10年ごとに改編され,明一代を通じて租税・力役課税の基本資料となった。…
…とくに均田法の行われた時代には,土地の給還をめぐって種々の文書が作られたことが知られている。しかし,土地の状況を全体的に記載した土地台帳というべきものとしては,魚鱗図冊をあげるべきであろう。魚鱗図冊は一定の区域を単位として作成され,はじめに総図をかかげて一筆ごとの区分を図示し,次に一筆ごとに土地の形や四周を示した図と,地番,所在地,地目,面積,税額,所有者,佃作地であれば佃戸(でんこ)の氏名などが記載される。…
※「魚鱗図冊」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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