中国,とくに唐・宋以後官僚機構を実際に支えた事務処理者の総称。〈胥〉とは《周礼(しゆらい)》では庶人が官司に出て使役される者をいう。また中国では時代がさかのぼるほど官と吏の溝は小さかったが,秦・漢以降,〈刀筆の吏〉といった言葉があるように,しだいに吏は庶民が,官は選良がつくという傾向が生じた。魏・晋以後九品官人法が行われると,九品以内に入る者は官,それ以外は吏という観念ができあがり,庶民が到達しうる地位は令史どまりとなり,それが胥吏の代名詞として定着した。隋・唐時代,政治,経済が複雑多様化するいっぽう,科挙の実施で文化的教養のみ高く実務にうとい士人が官員に選抜される構造が固まると,実際政治の事務手続はすべて胥吏にまかされるようになり,宋に至ってその体制が確立した。官員はなるべく本籍地を回避しつつ,3年の任期でポストを転々とするのに対して,胥吏は一地方,一官署で一生をすごし,戸籍徴税,裁判など,人民と官のあいだに立ってあらゆる事務をとりしきった。〈官に封建なし,吏に封建あり〉とは,南宋末の葉適の言葉であり,科挙官僚は,部下の胥吏たちとどのように協調してゆくかが出世の要諦とされた。
胥吏は本来は庶民が無償で知的労働奉仕をする徭役の一種といえるが,行政の複雑化にともなって専門化してゆき,残った部分は戸等などによって主として自営農民に賦課される差役となる。宋代では,両者を吏人と役人(えきじん)(公人)と名づけて区別している。この役人もしだいに銭納化され,専門の人間を雇用する方向にあった。胥吏は官署や地方によってその名称は雑多であるが,一種のギルドができあがり,親方の地位は株となり,またその出身地も一定する傾向が強かった。南宋の台州天台県(浙江省)を例にとれば,一県の官は知事,主簿,県尉ら数名にすぎないが,胥吏は,人吏,貼司(じようし),郷書手,手力,斗子,庫子,搯子(とうし),秤子(しようし),攔頭(らんとう),所由(しよゆ),雑職など総計120人をこえる。また中央の官庁でも中書省の堂後官をはじめ各官庁それぞれに何十,何百人の各種各様の胥吏がいた。胥吏はおかみから俸給を支給されるのではなく,その任用にも官はタッチできない。彼らの収入はすべて手数料という名目のわいろとピンはねでまかなわれた。
旧中国では胥吏といえば官と人民両方に寄生し,悪事を働くものの代名詞であった。宋代,王安石は新法の一環として胥吏に給料を与え,わいろをとれば厳罰に処す倉法を行ったが成功しなかった。モンゴル族王朝の元は,胥吏の実務機能を重視し,科挙の代りに吏員歳貢法をつくって胥吏の官員任用をはかったが,明・清時代にはもとにもどる。科挙を通過して皇帝の手足となった士大夫官僚をかげで支えたものが胥吏であり,宋以後の中国の政治は胥吏政治ともいえる。文化,伝統,生産力,さらに言葉などの隔差の大きい広い中国では現実の政治において地方の特性を無視できない。そうした問題と皇帝支配下の科挙官僚という均一要素が結ばれるところに胥吏が存在する一つの理由が求められよう。
執筆者:梅原 郁
唐・宋以後の中国と同様に朝鮮でも,正規の官僚任用法によらない下級の役人を胥吏と呼び(吏属,衙前ともいう),非常に古くから存在していたと思われるが,統一新羅期までの実態は不明である。高麗時代には地方の行政実務を担当した郷吏と呼ばれるものが存在し,国家の官僚ではなかったが,彼らは統一新羅末期に台頭した地方豪族の後裔であり,地方の権力者であったから,本来の胥吏の概念にはなじまない。しかし高麗の官僚制が整備されていくにつれて,郷吏の一部は官僚となり,残った郷吏の地位はしだいに低下していった。李朝に入ると郷吏の地位低下は決定的となり,政府は郷吏を地方実務の担当者として守令の支配下に置くとともに,服装も特殊なものを強制し,賤民身分として世襲化させた。また中央にも諸事務を担当する録事,書吏等の胥吏を置いた。彼らは国家からなんらの禄俸も支給されなかったが,実務に明るいのを利用して不正を働くことが多かった。いわゆる三政の紊乱(びんらん)の原因の一つとして,実学派の学者たちが胥吏の問題を盛んに論じた理由もここにあった。
執筆者:宮嶋 博史
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庶民の資格で官の政治に協力する人。旧中国では衙門(がもん)(官庁)の下層に勤務する吏員で、吏胥、書吏、吏人、また単に吏ともよばれる。起源は漢代の令吏にあり、令吏は上層の郎官との間に階層的な断絶があった。六朝(りくちょう)を中心とする門閥貴族政治の時代には、上位の官は貴族に独占され、低い家格から出た吏員の出世はいっそう困難となった。胥吏の語も六朝の梁(りょう)から現れる。門閥の重視は唐代まで続くが、宋(そう)代になり科挙の盛行に伴って新たに読書人、士大夫(したいふ)などと称せられる知識階級が成立し、そのなかから中央政府によって任命された官員と、官の委嘱によって衙門の下層で働く胥吏との対立が生じた。衙門の局課にあたるものを房または案と称し、1人の胥吏頭がいて徒弟制度で部下の胥吏を養成して使役した。彼らは俸給を受けず、人民から事務処理ごとに手数料をとって自活するので弊害が生じやすかったが、人件費が安くつくという長所もあった。中華民国の成立(1912)以後胥吏は消滅し、新しい官僚機構がつくられた。
[宮崎市定]
朝鮮では地方官庁の胥吏を郷吏、あるいは衙前という。郷吏の起源は不明であるが、高麗(こうらい)初期には地方豪族が就任し、国家から戸長などの爵号を授与され、地方官の命令を受けて地方支配の実務を遂行した。また郷吏の子弟には上京従仕の義務があった。中央官僚も彼らと同一階層の出身であって、郷吏は地方社会の支配者であった。中央集権化が進行し両班(ヤンバン)支配が確立していく過程でしだいに郷吏の地位は低下し、李朝(りちょう)時代になると、特別の場合を除き郷吏が科挙を通って官僚になる道が閉ざされた。こうして郷吏は地方行政の末端実務を職役とする身分に固定され、服装や冠にも制限を加えられた。しかし、郷吏は地方官の政治にも関与し、民衆に対しては支配者であった。
[吉田光男]
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中国官僚制末端の下部組織をなす下級吏員。宋以後発達した。官の正員でなく俸給も受けないが,徴税その他で直接人民との接触が緊密となり,明清時代には,土着の勢力としてしだいに専横化した。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
…朝鮮で高麗時代に地方豪族の力を抑えるために設けた官職。高麗王朝の成立後,地方豪族は郷吏(胥吏(しより))になって力を温存した。それを抑えるために,郷吏の子弟を其人と名付けて上京させ,また中央官僚に出身地の事審官を兼任させ,出身地の郷吏の推薦と監督に当たらせた。…
…とくに唐中期に節度使の武人支配が出現すると,文人知識人は掌書記になって文書を扱うことが多かった。宋以後,科挙出身者を中心とした文人士大夫官僚と,実務に携わる胥吏(しより)階級が明確に分かれると,中間的な書記の官は令史の流れをひく胥吏の役目とみなされ,節度掌書記などは武人支配の終焉とともに消滅してしまう。【梅原 郁】
[イスラム社会]
アラビア語で書記あるいは秘書をカーティブkātibとよび,軍人に対して〈筆の人〉と総称され,イスラム諸王朝の技術官僚として活躍した。…
… もちろん実際の政務がこういう文雅な読書人主義によって実効的に行われるはずはない。官僚のもとにはそのポケットマネーによっていわゆる幕友が招聘せられて実際の行政を分担し,さらにその下には読書人でもなく官でもない窓口実務者としての胥吏(しより)というものが大量に存在する。官吏という語があるように吏=官という用法ももちろんあるが,法制上の概念としては,吏と官とははっきりと別物である。…
※「胥吏」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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