1855年11月11日(安政2年10月2日)の安政江戸地震発生後、大量に出版された錦絵版画。普段は鯰が地底で動かぬよう鹿島神宮の要石(かなめいし)によって押さえ付けられているが、大鯰の動きで地震が起こったとする俗信が作り手のさまざまな画想を刺激、受け手もそれらをもてはやした。鯰絵を含む江戸の災害瓦版(かわらばん)情報は全国各地で求められ、続々板行された。幕府は震災発生後2か月半を経た12月半ば、版元から版木を没収、エスカレートする災害瓦版を抑制した。鯰絵は現在残されているものだけでも200種に及ぶ。作者、版元とも明記されないが、歌川国芳(うたがわくによし)など当時一流の絵師、あるいはこれ以降活躍する仮名垣魯文(かながきろぶん)などの戯作(げさく)者など、多くの有名無名の作者たちの関与が想定されている。
[北原糸子]
『C.アウエハント著(小松和彦ほか訳)『鯰絵』(1979・せりか書房)』▽『北原糸子著『安政大地震と民衆』(1983・三一書房)』▽『宮田登・高田衛編『鯰絵』(1995・里文出版)』▽『富沢達三著「『鯰絵の世界』と民衆意識」(『日本民俗学 208』)』
1855年(安政2)10月の安政の大地震を契機に,江戸市中に大量に出回った鯰の怪物を描いた浮世絵版画。地底の大鯰が地震を引き起こすという民間信仰に基づいて描かれた版画で,一部は地震の護符や守り札とされた。しかしその大半は,あいつぐ天災や政治の混迷などによる民衆の欲求不満を一時的に満たす憂さばらしに使われるような内容のものが多く,幕府によって販売が禁じられたにもかかわらず,さまざまな絵柄や文言をもつものが作られた。鯰絵では,地震鯰は破壊者であると同時に新しい世の中を創造する救済者として描かれている。これは地震そのものが〈地新〉つまり新しい世の中の到来であると民衆に想像されていたことと関連している。一見して何げない鯰絵の表現の裏に,民間信仰に根をもつ民衆の世界観が隠されていることが,オランダの日本学者アウエハントC.Ouwehand(1920- )の研究で明らかにされた。
執筆者:飯島 吉晴
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
…この場合,鰻(うなぎ),鯰,岩魚(いわな)などが多い。1855年(安政2)10月に起こった大地震は江戸市中を破壊したが,その直後に流布した瓦版として鯰絵がある。鯰絵の図柄は鹿島明神と要石と鯰が題材となっており,一般に知られているのは鹿島明神が要石で鯰を押さえ込む構図である。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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