鳥栖(読み)トス

デジタル大辞泉 「鳥栖」の意味・読み・例文・類語

とす【鳥栖】

佐賀県東部の市。JR鹿児島本線長崎本線との分岐点古来陸路要所田代太田古墳安永田遺跡がある。人口6.9万(2010)。

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精選版 日本国語大辞典 「鳥栖」の意味・読み・例文・類語

と‐ぐら【鳥栖・鳥座・塒】

  1. 〘 名詞 〙 鳥がとまったり乗ったりするところ。鳥の寝るところ。鳥のねぐら。鳥を飼っておく小屋。とや。
    1. [初出の実例]「鳥(とぐら)立て飼ひし鴈(かり)の子巣立ちなば檀(まゆみ)の岡に飛び帰り来ね」(出典万葉集(8C後)二・一八二)

とす【鳥栖】

  1. ( 応神天皇のころ鳥を集めて飼い慣らすための建物がこの地に建てられ、のち鳥樔と呼ばれたことに因(ちな)むという ) 佐賀県北東部の地名。古来陸路の要所であり、鹿児島本線・長崎本線の分岐点として発達。昭和二九年(一九五四市制

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「鳥栖」の意味・わかりやすい解説

鳥栖(市)
とす

佐賀県東端、福岡県境にある市。1954年(昭和29)三養基(みやき)郡鳥栖、田代(たしろ)の2町と基里(きさと)、麓(ふもと)、旭(あさひ)の3村が合併して市制施行。8世紀『肥前国風土記(ひぜんのくにふどき)』の養父(やぶ)郡の条に「鳥樔(とす)郷」とある。北西部には、九千部(くせんぶ)山(848メートル)など脊振(せふり)山地の東部山系が福岡県境に連なる。福岡県の久留米(くるめ)・小郡(おごおり)両市と接する南東部には筑後(ちくご)川水系の沖積低地が開け、かつて水害常襲地をなした。沖積低地に臨む低位段丘面などに中心市街地がある。

 近世期に二分され、北東部は対馬藩(つしまはん)(宗(そう)氏)の田代領、南西部は佐賀藩(鍋島(なべしま)氏)に属し、言語・習慣などに相違をもたらした。古来交通要衝の地で、轟木(とどろき)、田代は近世長崎街道の宿駅をなし、明治後の鳥栖は鉄道の町で知られた。鳥栖駅は、JR鹿児島本線、長崎本線の分岐駅であり、かつてはJR久大本線(きゅうだいほんせん)(久留米―大分)の列車にも当駅発着の設定が多く、九州最大級の機関区・操車場規模を誇った。2011年(平成23)には、九州新幹線鹿児島ルートの全線開通に伴い、新鳥栖駅が開業した。また国道3号と34号の分岐点にあたり、さらに九州自動車道と大分、長崎の両自動車道が交差する鳥栖ジャンクションがあり、その西に鳥栖インターチェンジをもつ。そのほか、鳥栖筑紫野(ちくしの)道路も通じる。このような交通位置を背景に、第二次世界大戦前もせっけん、製粉、製糸などの工業立地をみた。戦後1960年代以降、工業開発が目だち、まず轟木工業団地が造成され、新宝満(しんほうまん)川からの県東部工業用水道も建設された。工業生産額はつねに県内のトップクラスで、2020年製造品出荷額約3834億円は県下市町村中第1位。食料、化学など内陸の道路輸送型業種の進出が目だつ。田代地区における対馬藩時代からの売薬関係の伝統産業も近代化が進んだ。流通基地の鳥栖商工団地には、トラックターミナルや九州卸売センターなどが立地。産業技術総合研究所の九州センターもあり、福岡市に近く、1984年(昭和59)久留米、鳥栖テクノポリスの指定を受け、内陸工業都市として発展した。

 装飾古墳の田代太田古墳、安永田遺跡(やすながたいせき)は国指定史跡。萬歳寺(まんざいじ)の「絹本著色見心来復像」は国指定重要文化財。四阿屋(あずまや)神社御田舞(おんだまい)は選択無形民俗文化財。南東部低地は圃場(ほじょう)整備が進む。面積71.72平方キロメートル、人口7万4196(2020)。

[川崎 茂]

『『鳥栖市史』(1973・鳥栖市)』『『鳥栖市誌』5巻・年表、総索引1巻(2005~2010・鳥栖市)』


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改訂新版 世界大百科事典 「鳥栖」の意味・わかりやすい解説

鳥栖[市] (とす)

佐賀県北東部の市。1954年市制。人口6万9074(2010)。北西部は九千部(くせんぶ)山(847m)などの脊振山地が占め,南東部は筑紫平野の一角をなす筑後川の沖積地である。《肥前国風土記》に鳥樔郷とあり,雑鳥を飼いならして朝廷に献じたことによる地名という。江戸時代には宗氏の対馬藩領と鍋島氏の佐賀藩領に分かれ,長崎街道の田代宿は前者,轟木(とどろき)宿は後者に属し,ともに繁栄した。江戸中期以後,田代では朝鮮からの原料をもとに製薬業が興り,田代売薬として知られ,1847年(弘化4)には久光製薬が創業した。89年鹿児島本線の博多~久留米間,91年長崎本線鳥栖~佐賀間が開通してその分岐点となり,大機関区や操車場が設けられ,以後,九州における鉄道の要衝として発展した。久大本線の列車始発駅,九州自動車道と長崎・大分自動車道の交差する鳥栖ジャンクションの所在地でもある。

 第2次大戦前から製糸,製粉などの工場もあったが,戦後すぐ自転車工場や専売公社の工場も立地,1960年代からは轟木工業団地や鳥栖商工団地が造成されて食料品,輸送機器,化学,家具などの企業も進出している。また流通基地として脚光を浴びた。1984年久留米・鳥栖テクノポリスの指定をうけたが,福岡県の福岡・久留米両市の衛星都市的性格も濃い。鳥栖北部丘陵新都市開発整備事業が進められている。2011年九州新幹線の新鳥栖駅が開業した。

 田代地区周辺には弥生時代以降の遺跡が分布し,弥生期の集落・墳墓などの大規模な遺跡で知られる安永田遺跡(史),さらに古墳時代後期の装飾古墳である田代太田古墳(史)などがある。
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百科事典マイペディア 「鳥栖」の意味・わかりやすい解説

鳥栖[市]【とす】

佐賀県東部の市。1954年市制。脊振山地の東斜面から筑後川中流の平野を占める。鹿児島本線と長崎本線,九州自動車道と長崎自動車道・大分自動車道,国道3号線と34号線が分岐する交通要地で,2011年3月には新鳥栖を経由する九州新幹線も開通,鳥栖商工団地には卸売センター,トラックターミナルなどがあり,物流拠点となっている。工業も盛んで,製薬,タイヤ,食品,電機などの工場があり,県内1位の工業出荷額(2003)がある。1984年福岡県久留米市とともにテクノポリス指定を受け,北部丘陵新都市の開発整備が進行中。米作のほかレタス,グリーンアスパラなどの野菜栽培も行われる。71.72km2。6万9074人(2010)。

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普及版 字通 「鳥栖」の読み・字形・画数・意味

【鳥栖】ちようせい

鳥のねぐら。

字通「鳥」の項目を見る

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世界大百科事典(旧版)内の鳥栖の言及

【佐賀[県]】より

… ほかには1970年代以降造船業などを基幹業種とした伊万里湾臨海工業開発や,食品関係ほか道路輸送型業種を主とした県東部内陸工業地域の開発がとくに目立っている。県東部の鳥栖(とす)市は,明治中期以降鹿児島本線と長崎本線の分岐点となり,さらに昭和初めに開通した久大本線の始発駅となるなど鉄道の町として知られ,福岡市とのつながりが強いが,近来は国道3号線と34号線以外に,九州縦貫と九州横断の両自動車道が交差する地域として注目されている。鳥栖市の轟木(とどろき)工業団地や鳥栖商工団地などのほか,近くの上峰,三田川(みたがわ),東脊振の3町村にまたがる佐賀東部中核工業団地などは工業公園を目ざして造成が進められ,企業が進出している。…

※「鳥栖」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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