江戸中期の僧。本名は僧濬(そうしゅん)。鳳潭(芳潭とも書く)は字(あざな)。号は華嶺(かれい)道人、幻虎(げんこ)道人。生まれは摂津国(大阪府)とも越中(えっちゅう)国(富山県)ともいう。父は喜多宗伯。母は河内(かわち)氏。出家を許さぬ父と親子の縁を絶って慧極(えごく)(1632―1721)の門に投じた。その後、請われて瑞龍鉄眼(ずいりゅうてつげん)(鉄眼道光)の室に入り、僧濬菊潭の四字を授けられた。のちに鳳潭と改めた。鉄眼から華厳(けごん)宗の復興を嘱され、南都に行き清慶(せいけい)に学び、北嶺(ほくれい)では光謙(こうけん)(1652―1739)に学んだ。つねに新機軸を打ち出し、『倶舎論(くしゃろん)』は『倶舎論記』中の普光(生没年不詳)の著「光記」と法宝(ほうぼう)(生没年不詳)の疏(しょ)「宝疏」の二記に、『大乗起信論(きしんろん)』は法蔵(ほうぞう)の著『大乗起信論義記』によって学ぶべきであると説き、『五教章匡真鈔(きょうしんしょう)』10巻を著し、智儼(ちごん)(602―668)、法蔵を中国華厳宗の正統とし、澄観(ちょうかん)、宗密(しゅうみつ)を排斥した。1715年(正徳5)山城(やましろ)国(京都府)松尾(まつのお)の華厳寺を道場と定め、真言(しんごん)、浄土、日蓮(にちれん)の諸宗とも論争した。著述を事とし、華厳、天台、三論、戒律関係の著述多数を残している。
[池田魯參 2017年9月19日]
華厳宗の学僧。摂津国池田町(大阪府)の人とも,越中国埴生村(富山県)の人ともいう。名は僧濬(そうしゆん),号は華嶺道人,幻虎道人。1674年(延宝2)瑞竜寺鉄眼禅師に就き,華厳宗復興を勧められ,その興隆を志した。以後,興福寺,東大寺で学び,93年(元禄6)京都泉涌(せんにゆう)寺で受戒し,さらに比叡山で就学した。宝永年間(1704-11)江戸に下って大聖道場で《華厳経》を講じ,諸宗学徒が参集した。生涯他宗僧侶との論争を重ね,真言宗の慧光・実詮,浄土宗の義海,同西山派の顕恵,天台宗の光謙・守一・性慶,真宗の法霖・知空・慧海・性均,日蓮宗の日達・日諦などと,相互に著書を著し応酬した。1715年(正徳5),先に京都松尾に創立した安照寺を華厳寺と改め,23年(享保8)松尾南丘松室最福寺の故地に移し,華厳の道場とした。著書は《起信論義記会本》など,華厳・三論・俱舎(くしや)・天台などに関するものがすこぶる多い。資性剛峻で仮借しなかったが,また面接すれば温情をもって人に接したという。
執筆者:柏原 祐泉
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(松尾剛次)
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…因明の研究はその後日本では連綿と続けられ,多くの注釈書がつくられた。江戸中期のすぐれた学僧である鳳潭の著《因明入正理論疏瑞源記》はそうした注釈の一つとして有名である。因明論理学は,単なる理論としてでなく,奈良時代から論議のために実用としても利用されてきた。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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