日本歴史地名大系 「鴻池新田」の解説
鴻池新田
こうのいけしんでん
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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1704年(宝永1)竣工した大和川付替工事の後に,旧川敷,沼沢地跡を開発して創出された30余の新田の一つ。河内国若江郡の北東隅(現,東大阪市)に位置している。大坂の豪商鴻池家の3代目善右衛門宗利の資力によって旧大和川支流(玉串川)の流末沼沢地の一部を干拓して造成した。町人請負新田の代表例とされている。開発経緯は,05年正月に地代金を上納,同年5月着工,鍬下年季3年を経て07年8月に完成した。検地高870石3升8合,面積120町1反6歩であった。19年(享保4)に再検地を受けて高1706石8斗8升,面積158町8反8畝歩に増加した。沼沢地跡の干拓地であるから,耕地の過半は排水事情の劣悪な水田(みずた)(半湿田)であった。新田経営のため開発と同時に新田会所を設け,鴻池家の代理人である新田支配人を置いて管理した。新田の四囲には既存の村落が点在していたので,耕作者には周辺村落からの入作百姓が多く,永小作人は少なかった。
執筆者:葉山 禎作
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
18世紀初頭,河内国若江郡(現,東大阪市)に開発された新田。1704年(宝永元)の大和川の付替えで水量の減少した川床・池床などを開発した新田のうち,大坂の両替商鴻池家が請け負って新開(しんかい)池の池床を開発した。開発にあたり地代金を幕府へ納め,開発費も自費であった。05年開発に着手し,07年に完成。開発面積は約159町歩。開発後は地主となって小作料を徴収した。この経営のため新田内に鴻池新田会所を設けた。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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