日本大百科全書(ニッポニカ) 「鷲敷」の意味・わかりやすい解説
鷲敷
わじき
徳島県中南部、那賀郡(なかぐん)にあった旧町名(鷲敷町(ちょう))。現在は那賀町の東部を占める地域。那賀川の中流に位置する。旧鷲敷町は、1907年(明治40)町制施行。2005年(平成17)相生(あいおい)、上那賀の2町および木沢(きさわ)、木頭(きとう)の2村と合併して、那賀町となった。那賀町役場がある。国道195号が通じる。戦国時代に仁宇(にう)氏の居城仁宇城(のち和食城(わじきじょう)とも)が置かれ、のち徳島藩阿波(あわ)九城の一つとして重臣山田氏が居住した。そのころから那賀川上流域の仁宇谷の中心となった。地域の大部分は山地で、スギ、ヒノキなどの木材の生産が多い。農業は米作のほか、イチゴ、スダチ、タケノコ、フキなどを産する。わじき工業団地に製薬工場が進出している。那賀川には鷲敷ラインとよばれる渓谷があり、カヌー競技が行われる。蛭子(えびす)神社境内に自生するボウランは北限地として県の天然記念物に指定されている。県農林水産総合技術支援センターの試験林がある。なお、四国霊場八十八か所の第21番札所太龍寺(たいりゅうじ)(所在は阿南市加茂町)へのロープウェーの乗車駅がある。
[高木秀樹]
『『鷲敷町史』(1981・鷲敷町)』