鹿渡(読み)しかわたり

日本歴史地名大系 「鹿渡」の解説

鹿渡
しかわたり

[現在地名]津南町三箇 鹿渡

外丸とまる村の枝村。隣接する鹿渡新田とともに外丸村最北部の集落。南はたつくち。信州道が通り、北に鷹之巣たかのすの難路があって鹿のみが渡れるという意で、かつては「ししわたり」と発音した。元和元年(一六一五)には家三戸があったが、大坂夏の陣に賦役一人を徴され、村民困惑のところ、浪人恩田某がその役を買って出て、帰村後土地の分配を受け、永住したと伝える。正保国絵図に「鹿渡り村」高三四石余がみえる。正保三年(一六四六)の古高につき指上帳控(津端一郎氏蔵)では田一二石三斗余・畑一九石七斗・青苧高三石二斗余・白布高一石二斗。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「鹿渡」の意味・わかりやすい解説

鹿渡
かど

秋田県北西部,三種町中央部の旧町域。八郎潟干拓地東岸にある。 1932年町制施行し鹿渡町成立。 1955年上岩川村と合体して琴丘町となる。 2006年山本町,八竜町と合体して三種町となった。地名起源は,昔,男鹿半島からシカの群れが水上を渡ったという伝説による。

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世界大百科事典(旧版)内の鹿渡の言及

【琴丘[町]】より

…八郎潟の東に位置する。中心集落の鹿渡(かど)は八郎潟干拓以前は潟漁業の中心地で,1955年ころは全戸数の1/4近くが漁業に従事していた。57‐66年の八郎潟干拓工事の北部基地にあたり,干拓地へは新生大橋が建設され,大潟村への入口となっている。…

※「鹿渡」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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