出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
大阪府堺市美原区黒山にある前方後円墳。低平な台地の中央にあり,西面する二段築成の墳丘で,全長114m,後円部径64m,前方部幅65m,高さは前方・後円部ともに11m余ある。北側に造り出しをもち,幅17m余の周濠を有する。二重の円筒埴輪列をめぐらし,後円部上に家,盾,靫(ゆき)などの形象埴輪を方形に並べていた。かつて後円部より石棺を出土したと伝えるが,1947年の調査で,前方部の中央から甲冑,刀剣,矛,鏃,刀子など多数の鉄製武器武具をいれた副葬品用の竪穴式石室を発掘した。石室は長さ4m,幅0.8m,高さ1m,壁体には河原石を積む。内部に短甲24領を2列に配列し,衝角付冑11,眉庇(まびさし)付冑13を短甲内に格納。短甲の間に草摺4と肩甲など付属具をつめ,刀剣,矛は上に置いていた。短甲はすべて鋲留で,中に襟付短甲1領がある。甲冑の出土数としては最も多い。国の指定史跡となっている。
執筆者:北野 耕平
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
大阪府堺(さかい)市美原(みはら)区黒山にある古墳。陪塚(ばいづか)(いまは消滅)を備え濠(ほり)が巡り、墳丘の長さ114メートルの前方後円墳。第二次世界大戦中の松根掘りによって前方部で竪穴(たてあな)式石室が掘りあてられ、1947年(昭和22)から49年に末永雅雄(すえながまさお)と森浩一(こういち)が調査した。石室内は短甲24、眉庇付冑(まびさしつきかぶと)と衝角(しょうかく)付冑計24からなる甲冑(かっちゅう)でいっぱいになっていて、人体埋葬の形跡はない。後円部にはかつて石棺があったとも伝えられており、後円部の被葬者に対する武器埋納用の石室であろう。後円部の埋葬施設の上には、家、盾、靭(ゆき)などの形象埴輪(はにわ)が方形に配置され、さらに墳丘を円筒埴輪列が二重に巡り、その外側に蓋(きぬがさ)埴輪を配置している。1957年国史跡に指定された。
[森 浩一]
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