改訂新版 世界大百科事典 「鼠の草子」の意味・わかりやすい解説
鼠の草子 (ねずみのそうし)
《鼠の草子》と呼ばれるものには3種類がある。(1)御伽草子。室町期の成立。いずれも絵巻物の形をとり絵の中に作中の鼠の擬人名や会話などが絵解き式に書き込まれているのが特徴。その中でも天理図書館蔵本中の一巻本の一本は発端の部分を欠くが,文詞や絵画表現の形式は古様を帯び,典型的な御伽草子と言える。その他,同じ筋の一巻本(東京国立博物館),五巻本(サントリー美術館),三巻本(ニューヨーク公立図書館スペンサー・コレクション)などは絵巻の表現形式や文詞がほとんど同一で,室町末期に商品として絵草子屋により売られたものか。京の都に住む古鼠の権頭(ごんのかみ)が清水の観音の霊験で五条油小路の長者,柳屋三郎左衛門の娘を妻にするが鼠の正体が露顕し,妻に逃げ出される。権頭は俗世に思いを断ち,受戒し仏道に入らんと高野山へ上る,という筋。御伽草子の異類物によく見える発心譚で結ぶ構成である。絵の中の詞に〈御茶湯奉行宗易(そうえき)〉と千利休の名が見え,また柳屋三郎左衛門とあるのは室町期に京の五条西洞院にあった〈柳酒(やなぎざけ)〉屋をモデルとするか。御伽草子は口承文芸を基盤として成立している場合が多いが,〈鼠浄土〉といわれる昔話の類を踏まえて成ったかとも思われる。
(2)御伽草子。同じく室町期の成立か。フォッグ美術館保管のものや,東京芸術大学蔵(模本)の絵巻。母の尼君とわびしく暮らす女のもとへ男が通い,契りを交わして家も裕福になるが,尼君と男との正式な対面の場で,尼君が年来飼っていた猫が男に食いつき殺してしまう。男の正体は大鼠であった。女は異類と契ったあさましさや男との契りを想ってうれいに沈む,というやはり異類と人間との婚姻譚である。絵の作風から文明年間(1469-87)から明応・永正年間(1492-1521)に活躍した土佐光信の作かと思われ,公卿あるいは当時の有力武士,大名社会の女性などに読まれた御伽草子に属する〈小絵〉と呼ばれた小品絵巻の類と考えられる。
(3)仮名草子。江戸初期,1639年(寛永16)以前の成立と思われる。ケンブリッジ大学図書館蔵本のみ。前記2話が異類との婚姻を題材としているのと異なり,鼠との問答にかりて禅の心を説くもので,異類に仮託した戯論争物。座禅を妨げるものは鼠ではなく,おのれの心にある,と夢に悟る話で,その引用する経典から,作者は臨済宗の僧かと考えられる。
執筆者:岡見 弘
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報