〘副助〙
①
体言・活用語の連体形・助詞などを受けて、
事態の至り及ぶ時間的・空間的・数量的
限界を示す。格助詞とする説もある。
※
万葉(8C後)四・四八五「昼は 日の暮るる麻弖
(マデ) 夜は 夜の明くる
極み」
※滑稽本・浮世床(1813‐23)初「抓合ふまでは叭(あくび)が出る」
② 活用語の連体形・
副詞や体言を受け、事態の及ぶ程度を表わす。ほど。
※古事記(712)上「八拳垂る摩弖(マデ)焼(た)き挙げ」
③ 体言や体言に助詞の付いたものなどを受けて、極端な例を挙げて、極端なものがそうであるのだから、普通の水準のものは、いうまでもなくそうである、という
類推の意味を表わす。さえ。→語誌(2)。
※
源氏(1001‐14頃)賢木「あやしの法師ばらまで喜びあへり」
④ 体言または活用語の連体形を受け、それ以上には及ばず、それに限られる意を表わす。だけ。…にすぎない。→語誌(3)。「取り敢えずお礼まで」
※史記抄(1477)一一「
道徳経と云も道徳の二篇まてぞ」
※歌舞伎・百夜小町(1684)二「髪を切って後家を立つる迄ぢゃ」
⑤ (④から転じて) 文末にあって確認・強調の意を表わし、終助詞的に用いられる。中世末・近世の
口語。
※歌謡・閑吟集(1518)「人はなにともいは間の水候よ、わごりょの心だににごらずはすむ迄よ」
※
浄瑠璃・心中天の
網島(1720)中「どこでやら落してのけた。誰ぞ拾たか知らん迄」
⑥ 動作の相手を示す。「御不審の方は係までお越し下さい」
[語誌](1)語源は両手の意の体言であろうとされ、「万葉集」中「まで」が「
二手・左右手・
諸手」と表記されているのは語源意識の反映かという。その他「まだし・貧し・惑ふ」と同源で、不十分の意から到達・
波及の意となったもの〔改撰標準日本文法=松下大三郎〕、「目処
(まと)」即ち「的」と同義〔弖爾乎波の原理的研究=新井無二郎〕などの説がある。
(2)③の用法は、現代語では「田中義一は、後に陸軍大臣、政友会総裁、そして内閣総理大臣にまでなった男である」のように、二つまたは三つのものを極端でないものから並べ、最後に最も極端なものを挙げる場合が多い。また、「父はもちろん、母までが反対した」などのように、「…はもちろん」「さらには」「おまけに」などの語句とともに用いられることが多い。
(3)④の用法は、限界を指定することによって事態の及ぶ範囲の広がりを押えるものであり、その言外に暗示される効果は③の用法と裏腹である。この違いは表現形式にも反映し、④は③のような「…まで…述語用言」の形をとらず、「…は…まで(じゃ)」の形で述語となる。