1932年コミンテルン執行委員会が作成した日本共産党のテーゼ(今日の綱領的文書に相当)。日本共産党は1931年4月〈政治テーゼ草案〉を起草し,当面の革命の性質をプロレタリア革命であるとしたが,満州事変勃発の情勢のもとで正しくないという批判を招いた。コミンテルンで片山潜,野坂参三,山本懸蔵ら日本代表も参加して検討の結果,32年3月執行委員会常任委員会でのクーシネンの報告〈日本帝国主義と日本革命の性質〉を経て,5月執行委員会西欧ビューローの名でこのテーゼが決定され,日本では,元京都帝大教授河上肇の翻訳により,7月《赤旗》特別号に発表された。正式名称は〈日本における情勢と日本共産党の任務に関するテーゼ〉。テーゼは日本の支配的制度を絶対主義的天皇制,地主的土地所有,独占資本主義の3要素の結合であるとし,天皇制の独自の役割と絶対主義的性質に注目して,当面の革命の性質を社会主義革命への強行的転化の傾向をもつブルジョア民主主義革命と規定,その主要任務を天皇制の打倒,寄生地主制の廃止,7時間労働制の実現であるとした。このテーゼは近代天皇制の本質をはじめて解明し,革命戦略論争に終止符を打ったものとして,日本共産党の最高の指針とされ,講座派の理論的支柱となり,太平洋戦争後の50年代まで大きな権威を保った(戦後,戦時中の国家権力の評価をめぐって志賀義雄と神山茂夫の間で論争がおこった)。しかし作成当時のコミンテルンの理論水準を反映し,大衆の意識状態の軽視,過大な革命情勢論,社会民主主義者を社会ファシストと断定したセクト主義的偏向などの欠陥があった。
執筆者:江口 圭一
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…コミンテルンにおいては執行委員会書記(1921‐39)として,国際労働運動でも重要な役割を果たす。日本の天皇制との闘争を強調した32年テーゼの起草に参加,日本共産党への指導も行った。39年のソ・フィン戦争時は傀儡(かいらい)的〈人民政府〉の首班となった。…
…一方,コミンテルンは党の理論的支柱であった福本イズムをセクト主義と批判し,27年7月,日本問題特別委員会は日本における革命の課題に関する決議(27年テーゼ)を発表し,大衆的革命政党への脱皮の方向を示した。その後,日本の満州侵略と対ソ干渉の危険の増大という新しい状況をまえに,コミンテルンは共産党に根強く残る左翼セクト主義にたいする批判を強め,32年3月,執行委員会幹部会は再び日本問題に関するテーゼ(32年テーゼ)を採択した。しかし厳しい弾圧のもとで地下活動を続けざるをえなかった党は,戦術的硬直性も禍いして,大衆的基盤を獲得できず,すでに35年春ごろには全国的組織としての党は姿を消した。…
※「三十二年テーゼ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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