家庭医学館 「人工妊娠中絶の知識」の解説
じんこうにんしんちゅうぜつのちしき【人工妊娠中絶の知識】
胎児(たいじ)がまだ母体の外で生命を維持することのできない時期である妊娠22週未満(6か月のなかば以前)に、胎児とその付属物(胎盤(たいばん)など)を人工的に母体外に除去することによって妊娠を中断させることを、人工妊娠中絶といいます。
世界的には年間数千万件、日本国内でも年間数十万件にのぼる人工妊娠中絶が行なわれているといわれていますが、統計をとることが困難なため、正確な数字は把握できていないのが現状です。
◎人工妊娠中絶の安全性
確かな技術をもった医師が、的確な手順をふまえたうえで行なうならば、人工妊娠中絶術は必ずしも危険な手術とはかぎりません。しかし、子宮(しきゅう)の内腔(ないくう)という、直接目に見えない場所を扱う手術であること、また、法的規制のもとで取り扱われなければならず、手術を受ける患者の側にも、社会的背景などの理由から隠密裏(おんみつり)にすばやく事を終えたい、といったニーズがあることなどにより、一般の手術とはかなり趣を異(こと)にした部分をもっていることも事実です。
人工妊娠中絶にともなうアクシデントとしては、中絶不全(ちゅうぜつふぜん)(内容物の掻(か)き残し)によるものがもっとも多いとされていますが、出血や感染(ひいては不妊症への発展など)といった術後障害の可能性や、麻酔にともなう事故、さらに、ごくまれですが、子宮外妊娠(しきゅうがいにんしん)(「子宮外妊娠」)の見落としや手術器具による子宮壁の穿孔(せんこう)(穴をあけること)といった、生命の危機に直結するような事態に発展するケースもありえますので、手術を軽く考えず、信頼できる医師を選び、その指示をしっかり守って手術を受けることが肝要です。
◎人工妊娠中絶の適応
人工妊娠中絶は、合法的人工中絶と違法人工中絶(いわゆる堕胎(だたい))の2つに大きく分けられます。
胎児という一個の生命(これを「生命」とみなすべきか否かという点に関しても異論のあるところですが)の存亡(生死)を左右する手術であることから、宗教的、倫理的側面からもさまざまな説が唱えられており、合法か違法か、あるいは一部に例外を認めうるのか、という点に関しては、世界的にも、いまだに統一見解が出ていないのが現状です。
日本では、母性保護の立場から、母体保護法(ぼたいほごほう)(平成8年9月に、従来の「優生保護法」から改正)の第十四条に基づいて、妊娠の継続または分娩(ぶんべん)が、身体的または経済的理由により母体の健康を著しく害するおそれのある場合や、暴行または脅迫(きょうはく)により、抵抗や拒絶をすることができない間に姦淫(かんいん)されて妊娠した場合などには、合法的に人工妊娠中絶の実施が認められています。
実際の手術は、緊急の場合を除いて、都道府県の医師会から指定された母体保護法指定医のみが行なうことが許可されており、その指定医は毎月、各都道府県知事に人工妊娠中絶手術の実施報告書を提出することが義務づけられています。なお、実施にさいしては、本人および配偶者(相手の男性)の同意書が必要で、費用は通常自費扱いとなります。
◎人工妊娠中絶の方法
妊娠の時期により、手術の方法、難易度、危険性、さらに費用にも大きな差があります。
●妊娠初期の人工妊娠中絶
妊娠11週(3か月末)以内に行なわれる人工中絶です。まず、産婦人科的診察(現在では超音波装置を用いる場合が多い)によって、妊娠時期の決定や余病の有無についての評価を行なったあと、手術の日取りが決められ、原則として事前に術前検査(血液と心電図あるいは胸部レントゲンなど)が行なわれます。
手術にさいしては、まず子宮の出入り口を拡(ひろ)げる子宮頸管拡張(しきゅうけいかんかくちょう)という方法が必要になります。これは、麻酔をかけたあとに、金属でできた頸管拡張器を使って行なわれる場合が多いのですが、初めての妊娠などで頸管がかたく狭い場合には、ラミナリアという棒状の器具をあらかじめ子宮口から挿入し、数時間かけて徐々に拡げる場合もあります。頸管拡張につづいて、子宮内容物の除去、掻爬術(そうはじゅつ)が行なわれます。手術は一般に静脈麻酔(じょうみゃくますい)などの全身麻酔下に行なわれることが多く、掻爬術自体は数分から十数分で終了します。
●妊娠中期の人工妊娠中絶
妊娠12週(4か月初め)から22週未満(6か月のなかば以前)までの間に行なわれる人工中絶のことです。初期の中絶に比べ、胎児ははるかに大きく成長しており、骨格もしっかりしているので、初期のような単純な掻爬のみで除去することはできません。さらに、中絶希望者が複雑な社会的背景をもっているなど、倫理的側面からみても多くの問題を抱えている場合が多いので、医師の指示にしたがって、十分な管理の下に、時間をかけて中絶手術を行なわなければなりません。3か月までの初期中絶に比べると、当然危険度ははるかに高く、時間も費用もより多くかかることを覚悟しなければなりません。
この時期の頸管拡張はむずかしいので、さまざまな器具(ラミナリアあるいはメトロイリーゼと呼ばれるゴム風船のような器具)を用いて子宮口を拡げます。その後、薬物(一般的にはプロスタグランジン製剤の坐薬(ざやく)や点滴)を用いて人工的に陣痛(じんつう)を誘発(ゆうはつ)し、胎児を娩出(べんしゅつ)させるわけです。いわば、自然のお産により近いかたちで胎児を外に出すことになるので、通常数日間以上の入院を必要とします。
◎手術の前とあとの注意
妊娠を望まないカップルは、ふだんから十分な避妊を心がけ、妊娠しないよう工夫することが大前提ですが、もし不慮(ふりょ)の妊娠により中絶手術を受けざるを得ない状況が生じた場合には、以下の注意を守りましょう。
①妊娠継続の可否について、配偶者間で十分に話し合い、方針を定める。
②妊娠が危ぶまれたら、早めに受診し、安全度がもっとも高いといわれる妊娠7~8週前後までに中絶手術を受けるようにする。
③母体保護法指定医であることは無論のこと、信頼できる医師を選ぶ。具体的には、術前に十分な問診や説明、検査を行なってくれ、同意書や注意書きなどもきちんと準備されているような施設が好ましい。
④初期の中絶でも、必ずしも日帰りですむとはかぎらないので、手術の日取りや所用日数については医師の指示にしたがう。
⑤麻酔をかける関係上、手術当日は禁食などの指示が出る場合が多い。また、手術後は安静を保ち、感染防止、止血、子宮の収縮促進などの目的で内服剤を数日間にわたって服用するのが一般的である。
⑥術後に多いトラブルとして出血、腹痛、発熱などが考えられるが、心配な症状がある場合には、処置を受けた施設に早めに連絡する。
⑦術後、とくに気になる症状がない場合でも、指定された再診日には必ず受診する。