改訂新版 世界大百科事典 「学校体育」の意味・わかりやすい解説
学校体育 (がっこうたいいく)
学校の管理のもとでスポーツ,体操,遊戯,ダンスなどの身体運動を用いて,計画的に行われる教育活動をいう。教科,体育行事,特別教育活動の3領域からなる。教科体育では,生徒は運動を通して心身を全面的に形成し,生涯を通じて運動をする基礎的な知識や技術を身につける。体育行事では,生徒と教師が民主的な体育集団を組織して,校内競技会や運動会や校外活動を計画,運営し,集団活動に必要な問題解決能力や実践力を育てる。特別教育活動では,運動に興味をもった生徒が教師の助力を得て自主的な部やクラブを組織して,練習し競技会に参加して,ひとりひとりの願望を充足し才能を開発する。学校体育では,教科で学習された基礎的な知識,技能が体育行事や運動部,運動クラブの活動に正しい方向づけを与え深められ,3領域特有の機能が作用しあって学校教育の効果を高めるだけでなく,学校体育そのものが社会体育に発展するよう構成されていることがたいせつである。
欧米
身体運動による心や体の形成の歴史は古く,古代ギリシアやローマではそれが青少年教育の重要な部分を占めていた。中・近世では騎士や武士の学校で武芸と身体の訓練が行われていた。全人教育のための運動学習の意義はルネサンスの思想家によって注目されていたが,これを強調したのはロック,ルソー,ペスタロッチらの近代教育思想家であった。これらをうけて近代的な学校体育がドイツの汎愛(はんあい)学校で始まり,そこの教師グーツ・ムーツは〈男子市民体育〉の最初の近代的体育指導書《青少年の体育》(1793)を出版した。女子の体育指導書が出るのは19世紀の前半であった。市民体育をうけて,19世紀に入るとイギリスのスポーツsport,ドイツのトゥルネンTurnen,北欧のギムナスティークGymnastik,東欧のソコルsokolなどという各国独自の名まえや目的や体系や活動組織をもった〈国民体育〉が形成された。世界の近代的な学校体育はこれをもとに形成され発足した。必修教科としての体育の授業は北欧では19世紀の前半に始まるが,世界的にみると1870年前後に男子の〈体操科〉として制度化された。良妻賢母の育成を目ざした女子の場合には〈体操科〉の成立は遅れた。この体操科の特色は強い軍人や働き手の育成,ドイツ体操・スウェーデン体操・兵式体操教材,集団秩序訓練的指導法などという点にあった。教科体育を補強,促進するために運動会や〈午後の体育〉も奨励され,イギリスのパブリック・スクールのように中等学校には運動部も設置されたが,ヨーロッパの学校体育は教科体育に重点がおかれていた。遊戯やスポーツや新しい体操の発展に影響をうけて,世紀末から20世紀にかけて学校体育改革の運動が生じ,第1次世界大戦後のヨーロッパでは自然体育natürliches Turnen,新体操neue Gymnastik,アメリカでは新体育new physical educationなどという新しい体育が形成された。この新しい体育による〈体育科〉の特色は,民主的で社会性に富む平和を愛する市民の形成,遊戯やスポーツ教材,自発性を促進する指導法などであった。自然の中での集団的な体育行事がとくに重視された。しかし第2次大戦によってこの〈児童中心の学校体育〉は軍事化されていった。
日本
日本では,1886年の学校令で必修教科としての〈体操科〉が導入され,ドイツ体操と兵式体操による授業が始まった。日本の学校体育を特色づける〈運動会〉が流行するのはこの時期からであり,20世紀に入ると強固な競技部が中・高等学校に成立する。1913年には初めて〈学校体操教授要目〉が制定され,日本の〈体操科〉はスウェーデン体操と教練を中心教材とする授業に統一され,やがて武道と競技を加えて戦技訓練を導入,軍事色を強化して第2次大戦時の国民学校における〈体錬科〉への道を進んだ。このようにして日本の近代体育は,学校体育制度の充実と社会体育制度の未成熟から,学校を中心に発展することになったが,学校体育は授業と行事と競技部の間の不統一という矛盾をかかえこむことになった。軍国主義的な学校体育が民主的な〈新体育〉に改革され,この新しい体育科と体育行事と運動部,運動クラブ間の矛盾の解決が図られたのは,第2次大戦後アメリカの占領政策下であった。
現代の課題
第2次大戦後,世界の学校体育は軍事色の払拭(ふつしよく)と児童中心体育の再興で始まるが,やがて理念や方法で特色をもつ自由主義的な学校体育と社会主義的な学校体育が成立した。1960年代後半に入ると国家体制の対立をこえて〈大衆スポーツ〉の時代に入り,学校体育の改革が要求されるようになった。この改革は教科体育や行事や特別教育活動の分野で生徒の自主性や選択性を大幅に認め,教材や学習形態や活動組織の多様化と弾力化をもたらしており,学校体育から〈学校スポーツ教育〉への移行現象を生み出している。〈生涯スポーツ〉〈みんなのスポーツ〉を志向する時代の要求にこたえて,学校体育の3領域を再構成して,社会体育と一体化させることが日本の学校体育の課題である。
→体育
執筆者:成田 十次郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報