フランスの哲学者。構造主義の代表者の一人とされる。ポアチエで生まれ、高等師範学校(エコール・ノルマル・シュペリュール)で学ぶ。数年間にわたり精神医学を中心に医療の理論と実状を研究調査し、パリ大学バンセンヌ分校(現、パリ第八大学)教授を経て、1970年よりコレージュ・ド・フランス教授。
歴史、とくに思想史(イストアール・デ・ジデー=諸観念の歴史)について非連続の視点を主張、その方法を考古学(アルケオロジー)とよぶ。アルシーフ(集蔵体)とは言表(エノンセ)、言説(ディスクール)の総体というよりは、それらを成立させる規則のシステムであり、匿名(とくめい)性、自律性、示差的分散の特質を示す。
まず『狂気の歴史』(1961)では狂気が理性から、異常が正常から分離、隔離され、排除される過程が、『臨床医学の誕生』(1963)では医学的ディスクールについて、とくに18世紀後半から半世紀の間におこった変動=切断を示す変換が扱われる。ついで『言葉と物』(1966)では、人間諸科学――言語学・経済学・生物学について「考古学」が試みられ、同時にヒューマニズムの可能性が問われる。『知の考古学』(1969)に至って、知(サボアール)が総体的に問われ、科学との連関を示すエピステーメー、考古学という方法そのものが批判的に問い直される。コレージュ・ド・フランスの就任講義『言語表現(ディスクール)の秩序』(1970)を経て、著作はやがて『監獄の誕生』(1975)、『性の歴史』(1976~)の未完の大著として展開する。
[池長 澄 2015年6月17日]
『神谷美恵子訳『臨床医学の誕生』(1969/新編集版・2011・みすず書房)』▽『中村雄二郎訳『知の考古学』(1970/新装新版・2006・河出書房新社/河出文庫)』▽『中村雄二郎訳『言語表現の秩序』(1972/改訂新装版・1995・河出書房新社)』▽『渡辺一民他訳『言葉と物』(1974・新潮社/ちくま学芸文庫)』▽『田村俶訳『狂気の歴史』(1975・新潮社/ちくま学芸文庫)』▽『田村俶訳『監獄の誕生』(1977・新潮社)』▽『田村俶他訳『性の歴史』全3巻(1986、1987・新潮社/ちくま学芸文庫)』▽『ミシェル・フーコー著、豊崎光一他訳『これはパイプではない』(1986・哲学書房/ちくま学芸文庫)』
フランスの実験物理学者。パリ生まれ。生来、身体が弱く家庭教師について勉強。初め医者を目ざしたが断念し、フィゾーと知り合って物理学に向かった。機械工作の特技を生かし、科学雑誌に投稿し、自宅で物理学の実験研究を行う。1853年パリ天文台の物理学担当の職につき、1865年科学アカデミー会員。
フィゾーとともに、太陽のダゲレオタイプ写真を初めて試みたほか、光の波動説と粒子説についての決定実験として、アラゴの提起した空気中と水中とでの光の速さの比較実験を行い、空気中のほうが速いという波動説を支持する結果を1851年に出した。同年からフィゾーとともに光速度の測定を始め、その後ひとりで改良を行い、1862年には、回転鏡を使って秒速29.8万キロメートルという精確な値を出すことに成功した。これに関連して振り子に関心をもち、振動面の不変に着目して、振動面の見かけの回転が地球の自転の現れであることを証明した。1851年パリのパンテオンで67メートルの振り子でデモンストレーションを行った。ジャイロスコープの発明も知られる。
天文学に関連しては、反射望遠鏡のためにガラス銀めっきの方法を開発、これに関連して、レンズや反射鏡の曲面をテストし、収差を補正するための方法である「ナイフ・エッジテスト」を考案したことも大きな功績である。そのほか、フーコーの渦(うず)電流の発見という業績もある。
[高田紀代志]
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フランスの哲学者。ポアティエに生まれ,レビ・ストロース,アルチュセールとともに1960年代後半に〈構造主義〉の代表的思想家として脚光をあびた。エコール・ノルマル・シュペリウールで哲学を専攻したのち,精神医学の理論と臨床の研究に従事した。パリ大学教授などを経て,70年来コレージュ・ド・フランスの教授。最初の主著《狂気の歴史--古典主義時代における》(1961)で企てたのは,医者(あるいは冷やかな観察者)の立場からではなく,いわば狂人自身の立場からとらえた〈狂気の歴史〉であり,〈狂気の知〉の発掘の仕事であった。それは,近代理性の歴史的性格とその抑圧的性格に裏から照明をあてること,権力が具体的に働く一つの場面を解明することに成功した。第2の主著は《臨床医学の誕生》(1963)であり,ここで,医学のなかでももっとも具体的に生と死とのさまざまな要素が接触し交錯する臨床医学における,医学的言述(ディスクール)の掘起しと分析を行った。
しかしフーコーの名を決定的に世に広めたのは,《言葉と物--人文科学の考古学》(1966)であり,〈構造主義〉の流行のなかで,この本は〈バゲット(パン)のように売れた〉という話が語り草になっている。《言葉と物》においてフーコーは,17世紀以降の生物学,心理学,言語学,経済学での人間に関する知識を,非連続的な社会変動の所産であるとみなして,新たに〈認識系(エピステーメー)〉の考え方によって知の構造的変化のありようを示した。第4の主著《知の考古学》(1969)は,《言葉と物》に至るまでの彼の仕事が一種の歴史的考察であったのに対して,方法論的な反省と考察を行うことで人間科学の新しい統合を企てたものである。その後,フーコーはふたたび歴史的考察に移り,近代世界における〈監視と懲罰〉の歴史を描いた《監獄の誕生》(1975)を書いたのち,さらに《性の歴史》(1976-)に取り組んだ(第1巻《知への意志》,第2巻《快楽の用法》,第3巻《自己への配慮》まで刊行)。これらのうち《知への意志》は,〈知と権力〉の問題の新しい展開をはかった密度の濃い考察であり,《快楽の用法》と《自己への配慮》では,古代ギリシア・ローマの〈性の知恵と道徳〉が精細に探索されている。
最後に彼の死因について触れておくと,それがエイズであったことはフランスでは多くの知識人の間でほとんど常識になっている。ところが,公的にはそのことは世間には知らされていない。おそらく,フランスでも日本でも,この現代きっての傑出した知識人をその〈恥ずべき病気〉によって貶めたくないと配慮しているためであるに違いない。だが,このエイズによる死は,〈現代のニーチェ〉ともいうべきフーコーにとっては,むしろ光栄と言うべきではなかろうか。
執筆者:中村 雄二郎
フランスの物理学者。パリに生まれ,病弱であったため家庭内で教育を受けた。最初医学を志したが,銀板写真の発明に刺激されて,科学に関心を移した。1845年からA.H.L.フィゾーとともに光学の研究を行っていたが,彼らはパリ天文台のD.F.J.アラゴーが試みていた地球上での光速度測定の実験を継承することになった。回転鏡を用いる装置を使用して,彼らは独立に,空気中と水中での光速度比較の実験を行い,フーコーは,50年4月30日に,光が水中よりも空気中でより速く伝播(でんぱ)するという結果を発表,53年に学位論文としてまとめあげ,同時にパリ天文台の教授職を得た。この実験結果は,光の本性をめぐっての粒子か波かの対立の中で,光の波動論を支持するものであった。また一方,天体の銀板写真撮影のための装置製作を契機に,地球の自転を証明する振子(フーコー振子)の実験を着想し,1851年に実施した。これと関連して52年にはジャイロスコープを発明するなど,相対運動や回転運動の理論的解明への刺激を与えた。また,フーコー電流(渦電流)の研究でも知られる。65年アカデミー・デ・シアンス会員。
執筆者:日野川 静枝
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…1824年D.F.J.アラゴーが,回転する円板の上の磁針が振れる現象(アラゴーの回転板と呼ばれている)を発見したのが初めで,この現象はその後M.ファラデーが発見した電磁誘導の法則によって説明された。渦電流によって,強い磁場中で回転する電気伝導体の円板が強い制動力を受けることをJ.B.L.フーコーが実験で示した(1855)ことからフーコー電流とも呼ばれ,この現象は交流の積算電力計や電磁ブレーキなどに利用されている。一般に渦電流によって生ずるジュール熱は電力の損失となり,これを渦電流損失(または渦電流損)という。…
…また,J.ブラッドリーは1725年ごろに地球の公転速度によって光の進入方向がわずかに傾く効果を用いて光速度を求めた。これら天文学的方法に対して地上の光学実験で光速度を測定した例の中では,1849年のA.フィゾーによる回転歯車を用いた測定(フィゾーの実験,3.13×108m/s)およびその翌年J.フーコーが行った回転鏡を利用した測定(2.98×108m/s)が有名である。その後,78年からA.マイケルソンによって光速度の精密測定が精力的に行われ,1926年にはカリフォルニアのウィルソン山とアントニオ山の間で光を往復させる実験において,2.99796×108m/sという値を得た。…
…スペキュラム鏡の欠点は反射率が低いこと,表面劣化のたびごとに再研磨が必要なことである。19世紀末ガラスの表面を化学的に金属でめっきする方法がフーコーJ.B.L.Foucault(1819‐68)によって開発され,大反射望遠鏡の時代が始まった。この時代のものにはウィルソン山天文台(アメリカ)の2.6m望遠鏡(1917)がある。…
…色偏光や複屈折についてはすぐには説明できなかったが,これも光を横波と考えれば理解できることがフレネルによって示された(1821)。そして1850年,J.B.L.フーコーが,波動説から得られる帰結どおり,水中の光の速さが空気中よりも遅くなることを実験によって明らかにし,波動説に確定的な証拠を与えたのである。
[電磁波としての光]
光が何の波動であるかを予言したのはJ.C.マクスウェルである。…
…フランスの物理学者J.B.L.フーコーが1851年に地球の自転を証明する一つの方法として考案した振子。長い糸に重いおもりをつるして作った周期の長い振子で,上端はどの方向にも自由に振れるように支える。…
…フランス革命後の1793年,ピネルがパリ郊外のビセートルでこれらの鉄鎖を解いた事績はよく知られており,精神病者の人間化の第一歩と評される。しかしこの過程はM.フーコーの主張するように,狂気を医学の名で既成の価値体系や道徳的抑圧へと組みこんでいった過程でしかなく,つまり,精神疾患と呼ばれるものは単に〈疎外された狂気〉にすぎないともいえる(反精神医学)。 東洋の場合,狂気の〈狂〉は漢字の分類からすると会意文字で,ケモノ偏に王と書くから,元来〈人間外であるケモノに等しいが,ケモノのなかでは王の地位を占める〉という意味で作られたとされる。…
…それは大きな知的反響をよびおこし,《エスプリ》誌の〈野生の思考と構造主義〉の特集(1963)をはじめ,多くの雑誌がレビ・ストロースと構造主義を論じて,〈構造主義〉の時代の幕明けとなった。このような論議の高まるなかで,フーコーが《言葉と物》(1966)を,アルチュセールが《資本論を読む》《甦るマルクス》(ともに1965)を,ラカンが《エクリ》(1966)を,R.バルトが《モードの体系》(1967)を世に問い,その他文学批評の分野でも構造分析が行われ,いずれも何らかの形で〈構造〉ないし〈システム〉を鍵概念として近代西欧の観念体系を批判吟味する新しい構造論的探求を展開した。そして〈構造主義〉は,それまでの20世紀思想の主潮流であった〈実存主義〉や〈マルクス主義〉をのりこえようとする多様な試みの共通の符牒となった。…
… しかし,S.フロイトの精神分析を社会探求に結びつける視点が生まれると,上部構造と下部構造を直結するような社会史的思想史は批判され,社会心理学的視点を加えた思想それ自体の〈社会史〉としての思想史も構想されるようになる。そしてさらに,1960年代に入って,M.フーコーが,旧来の全体史的な思想史(精神史や社会史的思想史)の哲学的,認識論的土台を根底的に批判して,もろもろの思想の土台である〈言説〉の在り方(編成)を,社会的,政治‐権力的人間事象について解明する新しい構造論的思想史の視座をひらいた。こうして,現代では,思想史は,単なる歴史ではなく,新しい思考様式(哲学)ともなりつつある。…
…また,フランスのP.ピネルが,革命の進行しつつあった1793年8月25日,パリ近郊のビセートル病院で患者を鉄鎖から解放した事績は最もよく知られている。これについては,人間の解放のないところに精神病者の解放もありえないとする18世紀啓蒙思想の影響をみることもできるが,他方では,ピネルによる解放は身体の解放にとどまり,精神的にはかえって病者を道徳的抑圧のシステムに組みこんだというM.フーコーらの批判もある(反精神医学)。いずれにせよ,ピネルは精神病院の改革者として行動すると同時に,1801年には《精神疾患に関する医学‐哲学的論考》を著して〈近代精神医学の父〉とみなされる。…
… 一方,J.P.サルトルやM.メルロー・ポンティをはじめ現象学とマルクス主義を結合する実存主義の展開に続いて,人間の社会的活動を深層の意味構造から理解しようとする探求が生まれると,精神分析とフロイト主義は,言語学や人類学などと連動しつつ,無意識的な文化の構造を探り,人間認識の基本視座を革新する試みの思想的源泉の一つとなった。C.レビ・ストロース,M.フーコーらがそのような試みの代表者であるが,その後も思想のあらゆる分野でフロイトの新しい理解が新しい探求を触発しており,精神分析学者F.ガタリと共同する哲学者G.ドゥルーズの社会哲学的探求からJ.クリステバの記号論的探求やR.ジラールの象徴論的探求などにいたるまで,フロイトと精神分析の影響はいっそう深くひろがっている。心理学精神医学【荒川 幾男】。…
…たとえば病院や学校,図書館などでも,管理上,サービス上の観点から集中型の形式が好まれることも少なくなかった。とりわけ制度史の観点から眺めた場合,この種の施設の出現は,個人と集団や社会との関係を監視の機構によって規定したという点で興味深く,M.フーコーらによる一連の制度史研究(フーコーの《監獄の誕生》1975など)の中でも,近代社会を特徴づける施設のあり方として論じられている。 なお,パノプティコンは望遠鏡と顕微鏡を組み合わせた光学器械〈望遠顕微鏡〉のことを指していうこともある。…
…このような病気の観念の変換にあわせて,J.M.メイらの医学者やM.D.グルメクなどフランスの歴史家たちが,20世紀後半になって,あらたな〈病気の歴史学〉を提唱しはじめている。医学的認識の変化を広い歴史的文脈の中でとらえかえしたM.フーコーの《臨床医学の誕生》(1963),結核や癌といった病気をその〈神話〉から解き放つことをめざしたS.ソンタグの《隠喩としての病い》(1978)のような仕事も,以上のような動向と軌を一にするものといえる。 第3に,病気の発生はいちおう前提におくとしても,病気に対する社会的対応には,同様に歴史的な諸類型があることに気づかれる。…
…彼の小説制作の秘密の一部分は,遺言のようにして残された《いかにして私はある本を書いたか》(1935)に明かされ,またデュシャンやM.レリスのように深い影響をうけた者もあったが,〈挿話におけるシュルレアリスト〉というブルトンの評語にも現れているように,表だった少数の支持者たちの理解も必ずしも核心をつくものではなく,一般的には長い間まったく忘れられていた。しかし,想像力と狂気が境を接し,言語をまぎれもなく〈物〉として扱ったその文学制作は,1950年代からロブ・グリエ,ビュトールら前衛的文学者たちのしだいに注目するところとなり,とくにM.フーコーが精密な作品読解をとおして狂気と言語の関係を探った卓抜な《レーモン・ルーセル》(1963)を発表して以来,重要な問題をはらんだ文学的一ケースとしてさまざまな研究がささげられるようになっている。【清水 徹】。…
※「フーコー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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