三浦朱門(読み)ミウラシュモン

デジタル大辞泉 「三浦朱門」の意味・読み・例文・類語

みうら‐しゅもん【三浦朱門】

[1926~2017]小説家東京の生まれ。妻は曽野綾子。「第三の新人」の一人。「武蔵野インディアン」で芸術選奨。他に「箱庭」「望郷」など。昭和60年(1985)から翌年まで文化庁長官を務めた。芸術院会員。平成11年(1999)文化功労者

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「三浦朱門」の意味・わかりやすい解説

三浦朱門
みうらしゅもん
(1926―2017)

作家。東京に生まれる。東京大学文学部言語学科を卒業後、日本大学講師となる。中国古代に材をとった『冥府(めいふ)山水図』(1955)によって認められる。以後礁湖』(1957)、大学内部のあり方を描いた『セルロイドの塔』(1960)や『神話』(1966)などで地歩を固め、新しい家庭のあり方をイメージした『箱庭』(1967)によって新潮文学賞を受賞。また大学紛争への批判をも込めて描いた『教えの庭』(1969)、『竹馬の友』(1969)などを刊行。ほかに『道の半ばに』(1969)、『鴉(からす)』(1971)、戦後知識人のあり方を描いた『武蔵野(むさしの)インディアン』(1982)、『望郷』(1987)、『ささやかな不仕合わせ』(1987)など。1985年(昭和60)から翌年まで文化庁長官を務め、1987年芸術院恩賜賞受賞。同年芸術院会員。1999年(平成11)文化功労者。夫人は作家の曽野綾子(そのあやこ)。

[金子昌夫]

『『現代日本文学大系89 三浦朱門他集』(1972・筑摩書房)』『『武蔵野インディアン』(1982・河出書房新社)』『『にわか長官の510日』(1986・朝日新聞社)』『『ささやかな不仕合わせ』(1987・朝日新聞社)』『『道の半ばに』(集英社文庫)』『『箱庭』(文春文庫)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「三浦朱門」の意味・わかりやすい解説

三浦朱門
みうらしゅもん

[生]1926.1.12. 東京
[没]2017.2.3. 東京
小説家。1948年東京大学言語学科卒業。第15次『新思潮』を創刊(1950),『画鬼』(1951,のち『冥府山水図』),『斧の馬丁』(1952)で認められた。1953年同人曾野綾子と結婚。『聖陵勲章』(1953)など中国,西域に取材した歴史小説を経て,『不肖の父』(1958),『セルロイドの塔』(1959)など軽妙なタッチで現代生活を風刺した作品を発表。『箱庭』(1967)では家庭の理想の崩壊をさまざまに描き分けた。1968年前後の大学紛争についての発言も多い。1985年,文化庁長官。1987年,日本芸術院会員。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「三浦朱門」の解説

三浦朱門 みうら-しゅもん

1926- 昭和後期-平成時代の小説家。
大正15年1月12日生まれ。曾野綾子の夫。昭和25年第15次「新思潮」に参加。翌年「冥府山水図」でみとめられ,第三の新人のひとりとして登場する。42年「箱庭」で新潮社文学賞,58年「武蔵野インディアン」で芸術選奨。60-62年文化庁長官。62年芸術院恩賜賞,同年芸術院会員。平成11年文化功労者。16年芸術院院長。東京出身。東大卒。

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