長方形や円形の小さい浅い箱や盤の中に,庭園の景を写しとったもの。実際の庭園と同じように築山式や平庭式などがある。築山式は,小高い山を築き,やり水を流し,泉水をたたえ,中の島をつくって橋を架け,植込みや石組みも添える。平庭式は,低い丘に白砂やコケを置き,植込みや石組みを配するもの。ネズ,ゴヨウマツ,ツゲ,ケヤキ,ドウダンツツジなどをあたかも高木に見えるように植え,石組みにも模様や色の豊かな豆石を用いる。小盆の上に石を配して風物を描写する盆石はすでに室町時代から行われ,盆景や盆山などと呼ばれる縮景の遊びもある。桂離宮を造営した八条宮は庭師につくらせた雛形によって作庭の構想を練ったと伝えるが,これも箱庭様のものだったとみられ,これらが江戸時代以降しだいに庶民の娯楽として普及したらしい。《嬉遊笑覧》には,盆の上に自然の草木を植え込んだものを盆景と記している。箱庭は庭園を縮景としてとりこむささやかな庶民の娯楽であり,そのささやかさは,実際の風景をも〈箱庭的〉と評したりするように,日本の典型的な風景とも通じるものがある。
執筆者:小竹 明
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
1620年(元和6)、桂(かつら)離宮の造営にあたり、桂宮は庭師小法師に命じて、まず、その雛型(ひながた)をつくらせたという。それが箱庭の始まりといわれている。つまり、箱庭は庭園の雛型として生まれたものだが、その後、江戸時代の中期以降、庭をもたない庶民の慰めとして、おりから流行してきた園芸趣味の一分野として盛んにつくられるようになった。初めは浅い箱の中に土や砂を入れ、小さな木や草を植え込み、庭園のミニチュアであったが、やがて、「東海道五十三次の景」というように、名勝地の風景を表現するようになり、鳥居、人家、小動物などの陶製の小道具なども使うようになった。しかし、傑出した指導者もなく、流派もできなかったためか、しだいにあきられ、1887年(明治20)ごろ、和泉(いずみ)智川という人が箱庭を高度化した盆景を創始するに及んで、すっかり廃れてしまった。いまではその名ばかりが残っている。
[村田圭司]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…《嬉遊笑覧》には,盆の上に自然のコケや草木をも植えこんだ盆石を盆景としており,なかには鉢植えに石を立てるものや,家や人物の模型を配置するものもあった。これらは盆石というより箱庭とか盆庭に近いものであろう。 盆石の興味が,名石の鑑賞から離れて背景画である砂絵の描き方に移るとき盆画が生まれる。…
※「箱庭」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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