20世紀日本人名事典 「中山岩太」の解説
中山 岩太
ナカヤマ イワタ
大正・昭和期の写真家
- 生年
- 明治28(1895)年8月3日
- 没年
- 昭和24(1949)年1月20日
- 出生地
- 福岡県柳川市
- 学歴〔年〕
- 東京美術学校(現・東京芸術大学)臨時写真科〔大正7年〕卒
- 主な受賞名〔年〕
- 国際広告写真展1等商工大臣賞(第1回)〔昭和5年〕「福助足袋コマーシャル・フォト」
- 経歴
- 大正7年11月渡米。カリフォルニア州立大学に学んだ後、8年ニューヨークに移り、菊地東陽の助手に。10年五番街にラカン・スタヂオを開設し、肖像写真家として人気を得る。15年夫人と共にパリに移住。モンパルナスに住みマン・レイ、キキなどとも交流。昭和2年帰国、4年芦屋にスタジオを設立。5年ハナヤ勘兵衛、紅谷吉之助らと芦屋カメラクラブを設立。7年木村伊兵衛らと写真雑誌「光画」を創刊、多くの耽美的な傑作を発表、日本の芸術写真の第一人者といわれた。大正から昭和初期にかけての新興写真運動の代表でもあった。昭和24年全日本写真連盟理事。代表作に「上海から来た女」「デモンの祭典」などがあり、作品集に「中山岩太写真集―光のダンディズム」がある。60年兵庫県立近代美術館で「写真のモダニズム・中山岩太展」が開催され、若い人達の人気を集めた。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報