鎌倉初期の武将。秀義(ひでよし)の子。近江(おうみ)佐々木荘(しょう)(滋賀県近江八幡(はちまん)市)が本領であるが、平治(へいじ)の乱(1159)後、本領を離れて相模(さがみ)国渋谷(しぶや)荘(神奈川県藤沢・大和(やまと)・綾瀬(あやせ)市近辺)におり、父の命でしばしば伊豆に配流中の源頼朝(よりとも)を音問した。1180年(治承4)頼朝の挙兵に応じ、常陸(ひたち)金砂(かなさ)城(茨城県常陸太田(ひたちおおた)市)の佐竹氏討伐などに参加、戦功により本領佐々木荘の地頭に補され、ついで近江の守護となった。1191年(建久2)延暦寺(えんりゃくじ)の供料にあてらるべき佐々木荘の年貢をめぐって同寺の衆徒と争い、これを殺傷したことから延暦寺に訴えられ、薩摩(さつま)に流されたが、翌々年赦(ゆる)されて旧領を安堵(あんど)された。元久(げんきゅう)2年4月9日没。
[新田英治]
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平安末・鎌倉初期の武将。太郎と称す。近江源氏佐々木秀義の長男。平治の乱後下野国宇都宮に住する。1180年(治承4)源頼朝の挙兵に応じ,以後弟らとともに各地を転戦,戦功を重ねた。87年(文治3)以前より近江の守護。91年(建久2),年貢対捍(たいかん)を理由に本拠佐々木荘に日吉社の宮仕が乱入,子息定重が応戦した事件の責任を問われ,薩摩に配流。翌々年許され近江守護に復帰,あわせて石見・隠岐・長門の守護職を加給された。
執筆者:高橋 昌明
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(湯山学)
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…近江の古代・中世豪族。孝元天皇の皇子大彦命の子孫,狭々城山君を祖と伝える佐々貴山公氏(以下佐々貴氏と略称)は,沙沙貴神社を氏神とし,近江国蒲生郡を中心に栄え,奈良・平安時代には蒲生郡,神崎郡の大領などに就任した。一方,宇多天皇の皇子敦実親王の子の雅信は936年(承平6)源の姓を賜って臣籍に下り,その孫成頼は近江に土着して宇多源氏系佐々木氏の祖となり,孫の経方は蒲生郡佐々木荘小脇の館に住んだ。こうした佐々貴氏の北に接して宇多源氏系佐々木氏が土着し,両者の同化も進んだ。…
※「佐々木定綱」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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