佐藤尚武(読み)サトウ ナオタケ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「佐藤尚武」の解説

佐藤 尚武
サトウ ナオタケ


肩書
参院議長(緑風会),駐ソ大使,外相

旧名・旧姓
旧姓=田中

生年月日
明治15年10月30日

出生地
大阪府

出身地
青森県弘前市

学歴
東京高等商業学校(現・一橋大学)〔明治37年〕卒

経歴
津軽藩士・田中坤六の次男に生まれ、外交官佐藤愛麿養子となる。明治38年外務省入り。ロシア在勤、ハルビン総領事、スイス公使館1等書記官、仏大使館参事官、ポーランド公使などを歴任。昭和2年国際連盟帝国事務局長。5年駐ベルギー大使、8年駐仏大使。12年林銑十郎内閣の外相に就任。日独防共協定で悪化した対ソ・対中関係の調整に乗り出したが、3カ月で退陣。17年から終戦まで駐ソ大使。20年政府のソ連への和平工作依頼に対し、無条件降伏しかないことを進言した。敗戦後に帰国、枢密顧問官から22年青森地方区で参院議員に当選、山本有三の緑風会結成に協力、以来当選3回。24〜28年参院議長。31年日本の国連加盟を承認した第11回国連総会に日本代表の1人として出席した。著書に「回顧の八十年」がある。その功績を記念して東奥日報社により佐藤尚武郷土大賞が設定された。

没年月日
昭和46年12月18日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「佐藤尚武」の解説

佐藤 尚武
サトウ ナオタケ

大正・昭和期の外交官,政治家 参院議長(緑風会);駐ソ大使;外相。



生年
明治15(1882)年10月30日

没年
昭和46(1971)年12月18日

出生地
大阪府

出身地
青森県弘前市

旧姓(旧名)
田中

学歴〔年〕
東京高等商業学校(現・一橋大学)〔明治37年〕卒

経歴
津軽藩士・田中坤六の次男に生まれ、外交官・佐藤愛麿の養子となる。明治38年外務省入り。ロシア在勤、ハルビン総領事、スイス公使館1等書記官、仏大使館参事官、ポーランド公使などを歴任。昭和2年国際連盟帝国事務局長。5年駐ベルギー大使、8年駐仏大使。12年林銑十郎内閣の外相に就任。日独防共協定で悪化した対ソ・対中関係の調整に乗り出したが、3カ月で退陣。17年から終戦まで駐ソ大使。20年政府のソ連への和平工作依頼に対し、無条件降伏しかないことを進言した。敗戦後に帰国、枢密顧問官から22年青森地方区で参院議員に当選、山本有三の緑風会結成に協力、以来当選3回。24〜28年参院議長。31年日本の国連加盟を承認した第11回国連総会に日本代表の1人として出席した。著書に「回顧の八十年」がある。その功績を記念して東奥日報社により佐藤尚武郷土大賞が設定された。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「佐藤尚武」の意味・わかりやすい解説

佐藤尚武
さとうなおたけ
(1882―1971)

外交官、政治家。青森県出身。東京高商(現一橋大学)卒業後、外務省に入る。ポーランド公使、ベルギー大使などを歴任。その間、国際連盟日本国事務局長などを務め、1933年(昭和8)の「満州国」否認決議に際しては全権松岡洋右(まつおかようすけ)とともに抗議退場をした。1937年林銑十郎(はやしせんじゅうろう)内閣外相となり、従来の「広田三原則」にかわる新しい対中国政策を提起した。1942年駐ソ大使となり、第二次世界大戦中の日ソ交渉に尽力。終戦後、枢密顧問官。1947年参議院議員、緑風会結成に参加。1949年参議院議長。伊勢(いせ)神宮奉賛会長なども務めた。

[小田部雄次]

『佐藤尚武著『日本外交人物叢書17 回顧八十年』(2002・ゆまに書房)』


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「佐藤尚武」の意味・わかりやすい解説

佐藤尚武
さとうなおたけ

[生]1882.10.30. 大阪
[没]1971.12.18. 東京
外交官。旧津軽藩士の子に生れ,同藩の佐藤家の養子となった。 1906年ロシア駐在を振出しにハルビン総領事,ポーランド公使,ベルギー大使,フランス大使,外務大臣を歴任し,42年ソ連大使に就任,第2次世界大戦終戦時の大使として重任を果した戦前外交界の長老。満州事変当時,国際連盟において日本代表として孤軍奮闘したが,33年連盟脱退に際会した全権となった。 37年林内閣の外相として議会で,「危機を招くも招かざるもみな日本の意図による」と演説,軟弱外交と非難された。終戦前,ソ連を通して連合国との和平交渉にあたったが,45年7月 20日付の終戦意見電報は有名。 47年参議院議員,49年 11月から 53年5月まで参議院議長であった。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「佐藤尚武」の解説

佐藤尚武 さとう-なおたけ

1882-1971 大正-昭和時代の外交官,政治家。
明治15年10月30日生まれ。佐藤愛麿(よしまろ)の養子。ポーランド公使,ベルギー大使などを歴任。昭和8年国際連盟総会で満州国否認決議に抗議して松岡洋右(ようすけ)らと退場した。12年林内閣の外相,17年ソ連大使。戦後は参議院議員(当選3回,緑風会),参議院議長。昭和46年12月18日死去。89歳。大阪出身。東京高商(現一橋大)卒。旧姓は田中。

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367日誕生日大事典 「佐藤尚武」の解説

佐藤 尚武 (さとう なおたけ)

生年月日:1882年10月30日
大正時代;昭和時代の外交官;政治家。駐ソビエト連邦共和国大使;参議院議員
1971年没

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