髪をまとめて結ぶ用具。古くは麻糸,組紐などを用いたが,近世は和紙を細く折りたたんだり,撚ったりしたものを用いるようになり,現在に至っている。名称の由来は髪の元(根)を結ぶための用がそのまま呼名になったもので,〈もっとい〉という。《和名抄》に〈毛度由比〉と書かれ,古く《万葉集》《古今和歌集》などの歌にも詠まれた。また,《枕草子》に〈元結よる〉とあるのは実用の撚り元結のことであり,《紫式部日記》に〈釵子さして白き元結したり,頭つきはえてをかしく見ゆ〉とあるのは平元結(ひらもとゆい)と考えられ,装飾を兼ねていたことがわかる。近世の元結は文七元結(ぶんしちもつとい)の名に始まる撚り元結の既製品が出はじめ,全国的に一般化する。名の起りは,文七という元結職人の名とする説と,職人全体を文七と俗称していたと考える説がある。量産による実用元結が売品として文献に見られるのは,1679年(延宝7)刊《都独案内》で,〈もとゆひ 四条寺町東へ入,けんにん寺町三条下ル町〉と記され,17世紀の末には京都に専門店があった。
執筆者:橋本 澄子
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中国、中唐初期の詩人。字(あざな)は次山(じざん)。魯(ろ)県(河南省魯山県)の出身。754年(天宝13)の進士。安禄山(あんろくざん)の乱勃発(ぼっぱつ)ののち、759年(乾元2)に右金吾兵曹参軍(うきんごへいそうさんぐん)となった。763年(広徳1)道州(湖南省道県)刺史となり、さらに768年(大暦3)に容州(広西チワン族自治区北流県)刺史に移った。表現の美しさのみを重視する一部の風潮に反対し、古代の素朴な文体によって人の道を述べることを主張して、中唐の韓愈(かんゆ)、柳宗元(りゅうそうげん)らによる古文運動の先駆的役割を果たした。騒乱の後の疲弊した民衆に、さらに重税の追い打ちをかける政治のあり方を、刺史の立場から批判した古詩「舂陵行(しょうりょうこう)」「賊退きて官吏に示す」が知られる。『元次山集』10巻がある。
[市川桃子]
髪の根を結い束ねるのに用いる紐(ひも)のこと。「もっとい」ともいう。平安時代の垂髪に用いたことが絵巻物でみられるが、身分の低い者は、髪の乱れを防ぐ意味から用いていた。古くは糸やこよりを用いた。垂髪が髷(まげ)をつくる髪形に転じてから、こよりにさまざまの変化を生じ、幅の広い平(ひら)元結は髪飾りとして用いられた。江戸中期に入ると、70センチメートルくらいにこよりを引き伸ばして、粘りとつやを出した文七元結(ぶんしちもっとい)が考案された。
[遠藤 武]
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…中国,金の詩人。金は,1115年(収国1)女真人(満州族)によって建国され,1126年(天会4)北宋を倒して中国の北方に君臨した王朝であるが,元好問は唐の詩人元結(719‐772)を祖先に持つ漢民族であった。太原府忻(きん)州秀容県(今の山西省忻県の地)に生まれ,字は裕之,号は遺山。…
…上代には髪を結ぶのに麻糸を用いたが,7世紀に和紙が日本で作られるようになってから,こよりを用いたようである。これが後世の元結(もとゆい)の起源である。《万葉集》や《古今和歌集》にもすでに元結という言葉があらわれている。…
※「元結」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
小麦粉を練って作った生地を、幅3センチ程度に平たくのばし、切らずに長いままゆでた麺。形はきしめんに似る。中国陝西せんせい省の料理。多く、唐辛子などの香辛料が入ったたれと、熱した香味油をからめて食べる。...
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