元結(読み)モトユイ

デジタル大辞泉 「元結」の意味・読み・例文・類語

もと‐ゆい〔‐ゆひ〕【元結】

髪のもとどりを結び束ねるひも・糸の類。古くは組紐または麻糸を用いたが、近世にはのりで固くひねったこよりで製したものを用いた。もとい。もっとい。

もっとい〔もつとひ〕【結】

もとゆい」の音変化。

もとい〔もとひ〕【元結】

もとゆい」の音変化。

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精選版 日本国語大辞典 「元結」の意味・読み・例文・類語

もといもとひ【元結・鬠】

  1. 〘 名詞 〙 「もとゆい(元結)」の変化した語。〔名語記(1275)〕
    1. [初出の実例]「是を菩提のちしきとし世をのかれんとおもふとて、忍び忍びにもといきり」(出典:幸若・信太(室町末‐近世初))

もっといもっとひ【元結】

  1. 〘 名詞 〙 「もとゆい(元結)」の変化した語。
    1. [初出の実例]「いでばやとはおもへども、もっとひはとったり、ひたひ付はつけたり」(出典:虎明本狂言・麻生(室町末‐近世初))

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改訂新版 世界大百科事典 「元結」の意味・わかりやすい解説

元結 (もとゆい)

髪をまとめて結ぶ用具。古くは麻糸,組紐などを用いたが,近世は和紙を細く折りたたんだり,撚ったりしたものを用いるようになり,現在に至っている。名称の由来は髪の元(根)を結ぶための用がそのまま呼名になったもので,〈もっとい〉という。《和名抄》に〈毛度由比〉と書かれ,古く《万葉集》《古今和歌集》などの歌にも詠まれた。また,《枕草子》に〈元結よる〉とあるのは実用の撚り元結のことであり,《紫式部日記》に〈釵子さして白き元結したり,頭つきはえてをかしく見ゆ〉とあるのは平元結(ひらもとゆい)と考えられ,装飾を兼ねていたことがわかる。近世の元結は文七元結(ぶんしちもつとい)の名に始まる撚り元結の既製品が出はじめ,全国的に一般化する。名の起りは,文七という元結職人の名とする説と,職人全体を文七と俗称していたと考える説がある。量産による実用元結が売品として文献に見られるのは,1679年(延宝7)刊《都独案内》で,〈もとゆひ 四条寺町東へ入,けんにん寺町三条下ル町〉と記され,17世紀の末には京都に専門店があった。
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元結 (げんけつ)
Yuán Jié
生没年:719?-772

中国,中唐の詩人。字は次山。武昌(湖北省武漢)の人。伝記は同時代の顔真卿墓碑銘に詳しい。不安な社会相を描いた作品にすぐれ,〈系楽府(けいがふ)〉12首は,白居易らの新楽府運動の先駆となった。そのうち〈舂陵行(しようりようこう)〉はことに有名である。また華美な今体詩を排撃し,古詩を賞揚する目的で《篋中(きようちゆう)集》(760)を編纂した。《元次山文集》10巻が伝わる。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「元結」の意味・わかりやすい解説

元結
げんけつ
Yuan Jie

[生]開元11(723)
[没]大暦7(772)
中国,盛唐の文学者。武昌 (湖北省武漢市) の人。一説に魯県 (河南省) の人という。字,次山。号,琦玕子 (きかんし) ,漫郎など。生年も一説には開元7 (719) 年。天宝 13 (754) 年進士に及第。安禄山の乱を避け,湖北の西塞山中の 琦玕洞にこもったが,乾元2 (759) 年粛宗に召され右金吾兵曹参軍となり,反乱軍の討伐に戦功をあげた。広徳1 (763) 年道州 (湖南省) 刺史,大暦3 (768) 年容管経略使に進んだが,翌年母の死にあって官をやめた。人格高潔で憂国の情に富み,詩は社会の矛盾に目を向け,戦乱のなかの人々の苦しみをうたった社会詩が多く,その『系楽府』 12首は白居易の『新楽府』のさきがけである。また文章でも派手な技巧を避け,内容を重んじた文で,韓愈古文運動の先駆をなした。詩文集『元次山集』。

元結
もとゆい

日本髪を結うとき髪の根もとを束ねるのに使う紐。昔,公家や武家の間では松竹や鶴亀など美しい色絵の紐の飾り元結もあったが,庶民はこより,わらなども用いた。こよりが大勢を占めるようになったのは寛文年間 (1661~73) といわれる。 1871年断髪令以後,男子の元結はほとんどなくなった。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「元結」の意味・わかりやすい解説

元結(中国の詩人)
げんけつ
(719―772)

中国、中唐初期の詩人。字(あざな)は次山(じざん)。魯(ろ)県(河南省魯山県)の出身。754年(天宝13)の進士。安禄山(あんろくざん)の乱勃発(ぼっぱつ)ののち、759年(乾元2)に右金吾兵曹参軍(うきんごへいそうさんぐん)となった。763年(広徳1)道州(湖南省道県)刺史となり、さらに768年(大暦3)に容州(広西チワン族自治区北流県)刺史に移った。表現の美しさのみを重視する一部の風潮に反対し、古代の素朴な文体によって人の道を述べることを主張して、中唐の韓愈(かんゆ)、柳宗元(りゅうそうげん)らによる古文運動の先駆的役割を果たした。騒乱の後の疲弊した民衆に、さらに重税の追い打ちをかける政治のあり方を、刺史の立場から批判した古詩「舂陵行(しょうりょうこう)」「賊退きて官吏に示す」が知られる。『元次山集』10巻がある。

[市川桃子]


元結(もとゆい)
もとゆい

髪の根を結い束ねるのに用いる紐(ひも)のこと。「もっとい」ともいう。平安時代の垂髪に用いたことが絵巻物でみられるが、身分の低い者は、髪の乱れを防ぐ意味から用いていた。古くは糸やこよりを用いた。垂髪が髷(まげ)をつくる髪形に転じてから、こよりにさまざまの変化を生じ、幅の広い平(ひら)元結は髪飾りとして用いられた。江戸中期に入ると、70センチメートルくらいにこよりを引き伸ばして、粘りとつやを出した文七元結(ぶんしちもっとい)が考案された。

[遠藤 武]

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百科事典マイペディア 「元結」の意味・わかりやすい解説

元結【もとゆい】

日本髪の髻(もとどり)を結ぶもの。〈もっとい〉とも。古くは麻糸や組紐(くみひも)を用いたが,江戸初期から元結紙でこよりを作り水糊(みずのり)を塗ったものを用いるようになり,これを文七元結と称した。文七は職人一般の呼称,考案者の名,紙の名など諸説あるが不明。元結が装飾的に使われるようになると平(ひら)元結や平元結に針金を入れた跳(はね)元結なども作られ,吉凶の際は金,銀,黒と使い分けた。
→関連項目伊予柾紙元結紙

元結【もっとい】

元結(もとゆい)

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世界大百科事典(旧版)内の元結の言及

【元好問】より

…中国,金の詩人。金は,1115年(収国1)女真人(満州族)によって建国され,1126年(天会4)北宋を倒して中国の北方に君臨した王朝であるが,元好問は唐の詩人元結(719‐772)を祖先に持つ漢民族であった。太原府忻(きん)州秀容県(今の山西省忻県の地)に生まれ,字は裕之,号は遺山。…

【こより(紙縒∥紙撚)】より

…上代には髪を結ぶのに麻糸を用いたが,7世紀に和紙が日本で作られるようになってから,こよりを用いたようである。これが後世の元結(もとゆい)の起源である。《万葉集》や《古今和歌集》にもすでに元結という言葉があらわれている。…

※「元結」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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