髪にさしたり巻いたりして髪形や顔をひきたて,あるいは頭髪の乱れを防ぐ等の目的をもつ装身具。既に旧石器時代に貝の髪飾が使われたことが知られている。他の装身具類と同様多面的な用途をもち,保温・防備などの実用的な目的から,信仰心の反映であるもの,装飾本能や美的本能をみたすもの,そして性別,身分,集団への帰属などを象徴するものなどに分けられる。一般に,被り物や頭飾との区別がつきにくいものが多い。被り物系統の帽子,頭巾,手ぬぐいなども広義の髪飾に含まれるものである。髪飾を大別すると,結束物系統と挿物系統の2種に分けられる。結束物系統としてはターバン,鉢巻,リボンなどが,挿物系統には櫛,簪(かんざし),笄(こうがい),ヘアピンなどがあげられる。材料も多種多様で,布,皮革,羽毛,花枝,貝類,獣の角や牙,貴金属類などあらゆるもので作られている。
日本古代の代表的髪飾としては,頭を巻く鬘(かずら),さす髻華(うず)や挿頭(かざし)がある。髻華というのはうず高いもの,すなわち髻(もとどり)にさすものを本来意味し,挿頭は髪にさすものを意味した。石器時代に既に鹿の角や骨,あるいは木で作ったピン状の簪や飾櫛が存在した。古墳時代には花枝や木の芽を髪にさすことが流行,呪術的な目的ももっていた。この時代,大陸文化の影響と思われる銀製の釵子(さいし)(束髪ピンの類)もみられた。貴族階級では中国風の髪飾がもてはやされ,それは平安時代にも受けつがれ,頭に平打ちで鳳凰の飾りなどのせるようになった。宮廷の女官は髻を作って左右に釵子をさした。男子では金属製の挿頭花が冠の飾りとなった。官位や儀式によって,この花の種類が異なった。鎌倉時代には釵子と造花をあしらったものがはやり,後代これが花簪となっていった。
一方,中国では古くから髪に花枝を飾る風があり,漢の時代にはその流れをくむ非常に複雑な髪飾〈歩揺(ほよう)〉があらわれている。歩揺とは花や獣をかたどった金製の装飾板を前額にあてたもので,上に珠の垂飾がついていて,文字どおり歩くたびにそれが揺れたので歩揺の名がある。
奈良時代および平安時代の上流の女性たちは礼服のとき,髻の根元を金,銀の玉で飾るのがならいであった。室町時代になると,〈おしゃし〉と呼ばれる髪飾が登場する。これは円板に3本の笏形の飾りがついたもので,髻に釵子でさして,前から櫛1枚をあてたものである。近世,女子が下げ髪から髷を結うようになると,髪飾は飛躍的に発達し,多種多様なものがでてきた。江戸時代には,櫛,簪,笄のほか,掛物といわれる手絡(てがら),丈長(たけなが),根掛(ねがけ)などが用いられた。掛物は元結と共に,いわゆる日本髪に使われる髪飾である。元結はこの時代,金銀箔を用いたものや紅白の装飾的なものになった。櫛も蒔絵櫛や花櫛,簪も花簪やびらびら簪など,凝った細工物が次々と生まれた。丈長は平元結の流れをくむもので,江戸末期に流行した。手絡は結んだ髪の上に赤や紫の四角い裂(きれ)をかぶせて包んだのが始まりである。高価な縮緬(ちりめん)のものから紙製のものまである。根掛は籐や金糸銀糸を編んで作ったが,江戸時代末期から明治時代にかけて,高価な鼈甲(べつこう),珊瑚(さんご),真珠などの根掛も登場した。江戸時代は,上流の女性ばかりでなく,一般庶民の婦女子も競って粋で華やかな髪飾を求めた,髪飾の黄金時代であった。明治時代になり,近代化の象徴として束髪がとり入れられ,伝統的な日本髪が徐々に姿を消してゆくとともに,髪飾も衰退していった。代りに登場したのがヘアピンとリボンであった。大正時代には,一時カチューシャと呼ばれるゴム製の輪櫛が若い女性の間でもてはやされた。いわゆる洋髪になってからも,髪を長く編んだり,パーマネント・ウェーブをかけた髪を巻き込んだり,ヘアピンで止めていた時代には,まだかなりの髪飾がみられた。しかしショートカットした髪形が主流となった今日では必要のないものとなり,髪飾も特定の祭日や儀礼時以外にはみられなくなった。
古代の髪飾は,英語でフィレットfilletと俗に呼ばれている紐状,リボン状の飾りであった。鬘(かずら)の系統の飾りで,後代においても主流を占めた。古代エジプトでは,男女とも暑さを和らげ,清潔さを保つため頭をそっていたので,髪飾はかつらの飾りであった。金銀や宝石を使った冠のほか,髪にみたてて編んだ黒の細紐に鮮やかな色のリボンを結んだり,ロータス(睡蓮)の花を髪にさすことが好まれた。ギリシア,ローマ時代には,草を編んだコロナと呼ばれる月桂冠が,男子の髪飾として知られる。婦人はフィレットや,ステファニと呼ばれて三日月形の金属製の飾りを額の上につけた。中世から近世にかけては各種の被り物が発達し,初期を除いては,ルネサンスに至るまで髪がほとんど見えないような,頭巾やベールの類のきわめて装飾的な被り物の全盛となる。したがってこの時期には,目だった髪飾はほとんど見当たらないが,中世初期には長いおさげ髪にリボンや飾具がつけられた。中世末期では,クリスピンと呼ばれる,金線で作られ宝石をあしらったヘアネットがみられた。ヨーロッパにおける髪飾の黄金時代は,フランス革命に至るまでのルイ王朝時代であろう。宮廷を中心として,一様に大きな造形的な髪形を飾るべく,ありとあらゆる創意工夫が髪飾に施された時代であった。かつらも男女共に大いに用いられ,ふんだんに髪粉が使われた。フランス革命時,タイタス・カットと呼ばれる短い,まったくの断髪があらわれたが,長くは続かなかった。貴族のシンボルであった高々と結い上げた髪形に対する短期のレジスタンス現象と考えられる。第1次大戦後,本格的ショートヘアが登場するまで,長い髪は女性の美しさのシンボルであり,それとともに髪飾も生き続けたのである。
被り物との区別がつきにくいものが多い。遊牧民や山岳部の少数民族の女性の髪飾に華麗ですばらしいものが多い。パキスタンのカラシュ族の女性は子安貝を一面に縫いつけた髪飾をもっている。インドシナ半島北部の照葉樹林帯に住むアカ族の女性の髪飾はとりわけ豪華で,既婚者は装飾の多いとがったものを,未婚の娘は平らで飾りの少ないものをつける。未開社会では男の方が全般的により装飾的で,フィリピンの原住民ネグリトの若い男はビーズで飾ったヘアバンドを頭に巻き,ニューギニア高地の男は,祭りの日には極楽鳥やオウムの羽を満艦飾につけた冠状の飾りをつける。狩猟に出かける際にも,ダニ族の男はヒクイドリの羽を頭部に飾る。ポリネシアでは,男女とも花をたくさんつけた草や葉で編んだ冠を好んでつける。
→鬘(かつら) →被り物 →装身具
執筆者:鍵谷 明子
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
頭髪に挿したり、巻いたり、あるいは髪の乱れを防ぐために用いる飾りもの。老若男女、世界各国、未開社会から文明社会まで広く使われる。身分などの尊貴のシンボルとして用いられたのに始まり、のちに一般化して現代的な性格をもつようになった。
[遠藤 武]
わが国では、古代から髪を飾る習慣があり、頭に挿すものを髻華(うず)、あるいは挿頭華(かざし)といい、また頭に巻くものを鬘(かつら)とよんだ。当初は自然のままの植物の花を使ったが、のち金属製のものとなった。男の場合は603年(推古天皇11)わが国に冠位制度ができたおりから、元日に髻華をつけることになった。のち皇子諸王諸臣はみな金髻華をつけたが、この制度が複雑化するにつれて銀、銅などが加わった。平安時代に宮中の年中行事が確立するとともに、宮中参内のおりに草花を飾りとしたが、冠や烏帽子(えぼし)の生活が日常化するにつれて、頭髪よりも被(かぶ)り物に飾りとしてつけた。もちろん、儀式、官位、身分によって一定の決まりがあった。
女性の場合は、飛鳥(あすか)・奈良時代に衣服令が定められて、礼服を着用するおりには宝髻(ほうけい)にしたが、平安時代以降になって、盛儀のときに着用する女房晴装束には、髪上げをしてから釵子(さいし)を飾りとした。庶民生活のなかで髪飾りが用いられるようになったのは、下げ髪にかわって、髷(まげ)のある髪形ができた江戸時代からである。まず最初に櫛(くし)、笄(こうがい)、簪(かんざし)が挿され、これに加えて手絡(てがら)、丈長紙(たけなががみ)、根掛(ねがけ)、はね元結(もとゆい)などが用いられた。遊里における花魁(おいらん)の姿の華やかさから、町人の粋姿(いきすがた)にまで髪飾りはその一役を担ったのである。
明治になり、日本髪より束髪が流行するようになって、日本的な髪飾りは一時減少した。明治末から大正初期にかけては松井須磨子(すまこ)が演じた『復活』にちなんで、ゴムの輪櫛(わぐし)が「カチューシャ」とよばれてふたたび少女たちの間で大流行した。第一次世界大戦後は断髪の流行やパーマネント・ウエーブの普及の余波を受けて、急速に髪飾りは減っている。しかし、正月などの晴れ着を着る際に新日本髪には髪飾りとしての花簪(はなかんざし)は必需品であり、打掛(うちかけ)姿の花嫁衣装には欠かせないものの一つでもある。
[遠藤 武]
髪や頭部に用いる付属品のうちでも、概して装飾性の強いものをいう。英語のヘア・オーナメントhair ornamentにあたるが、より広義にはヘッド・ドレスhead dressの語が用いられる。この語には帽子、ベール、スカーフなどのヘッド・ギア(被り物)と、ヘアアクセサリー(付属品)、ヘアスタイル(髪形)、ヘアドゥ(結髪)を含む頭飾り全般が含まれ、明確に分類することはむずかしい。西洋の髪飾りの概念は、髪だけの孤立した装飾としてよりも、頭飾りないし服装全体での統一概念として把握しようとするところに、日本のそれとは異なった観念がみられる。
髪飾りは形のうえから次のように分類される。(1)髪を固定するヘアピン、ヘアクリップ(いずれも毛留め)の類。(2)頭や髪に巻くヘアレース、ヘアバンド(細長い紐(ひも)やリボン)の類。(3)ヘアリング(飾り輪)、ティアラ(小宝冠)の類。(4)ヘアネット。(5)櫛(くし)。(6)その他。
原始時代には、髪を束ねる細紐や細工した櫛とともに、自然の植物や鳥の羽などで髪を飾っていたと考えられる。古代世界では種々のヘアバンド、ヘアリングの類が用いられ、たとえば古代エジプトの女性は、ロータス(蓮(はす)の花)の花冠やリボン状のフィレット(頭帯)を用いていた。かつらや冠の上につけた細い紐状のリングレットは、古代ギリシアになるとダイアデムとよばれる。また女子の髪飾りは総じてステファーネとよばれた。金属製の大きな半月形のそれは、花冠や月桂冠(げっけいかん)とともに、古代ギリシアを代表する髪飾りである。ダイアデムやティアラは引続き古代ローマでも用いられ、ミトラあるいはコロナとよばれ、のちにクラウン(冠)へと発展する。
中世の髪飾りはヘアネットに代表される。金糸製のヘアネットには多彩な装飾を施したものもあった。ルネサンス期になると、これに真珠や宝石の類が編み込まれてゆく。宝石を鎖や紐で額の真ん中に巻き付けて飾るフェロニエールは、16世紀に登場しているが、後の19世紀初頭にふたたび流行をみることになる。
17世紀末から18世紀初頭にかけて、婦人の間でフォンタンジュが大流行となった。これは装飾的なキャップ(帽子)の一種で、前頭部を高く、レースやリネンを糊(のり)付けしたフリルの飾りがついていた。18世紀後半には、一時期、巨大なかつらが用いられ、ありとあらゆるものが髪飾りとして利用された。羽、宝石、リボン、造花、果物、麦の穂、ときには帆船、剥製(はくせい)の鳥、果樹園の模型まであった。フランス革命を経てファッションはしだいに落ち着きを取り戻し、髪は概して自然な形に重点が置かれてくる。19世紀以降には、髪飾りはしだいに小型化してくるが、従前のもののリバイバルも含めて、種類はきわめて多様になってゆく。現代の髪飾りは、特殊な場合を除いて、簡単で実用性の強いものが多い。飾りピン、リボン、造花、羽毛、ヘアバンド、小さな飾り櫛などが主で、若い女性の間ではカチューシャとよばれる細いヘアバンドが、またインディアン風のヘアバンドやバンダナ(スカーフ)を利用したものは男性にも愛用されている。
[平野裕子]
『岩瀬京山著『歴世女装考』(『日本随筆大成 第3巻』所収・1927・吉川弘文館)』▽『喜多川守貞著『類聚近世風俗志』復刻版(1934・更生閣)』▽『都新聞付録『都の華』1~73号(1897~1903・都新聞社)』
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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