日本大百科全書(ニッポニカ) 「坂崎直盛」の意味・わかりやすい解説
坂崎直盛
さかざきなおもり
(?―1616)
戦国~江戸初期の武将。石見(いわみ)国(島根県)津和野(つわの)藩主。直行、重長、信顕(のぶあき)、詮家(あきいえ)、成正(政)(なりまさ)など異名多く、正親、孝親ともある。左京亮(さきょうのすけ)、やがて対馬守(つしまのかみ)、のち出羽(でわ)守。備前(びぜん)国(岡山県)生まれ。戦国大名宇喜多(うきた)氏の一門で、父は宇喜多出羽守忠家(ただいえ)(号安心)。初め宇喜多直家(なおいえ)・秀家(ひでいえ)2代に仕え、2万4000石余。1599年(慶長4)内紛により主家を退去、徳川家康に仕え、翌年関ヶ原の戦いに従軍、宇喜多姓を改め坂崎を名のった。後の戦功により津和野3万石を与えられ、三本松城(津和野城)を大改築、近世的城下町の整備に努めた。1615年(元和1)大坂夏の陣において豊臣秀頼(とよとみひでより)室(家康の孫)千姫(せんひめ)の大坂城脱出に功あり、千姫を妻に強く所望したがいれられず、それを怨(うら)みに思い、16年本多忠刻(ただとき)のもとに嫁ぐ千姫を途中で奪わんとしているとの噂(うわさ)がたち、同年9月、主人が罪を被ることを恐れた家臣によって殺された。自害ともいう。所領は没収され、家は断絶した。
[松尾 寿]