第二寝屋川に対して第一寝屋川ともいう。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
大阪府北東部、淀(よど)川左岸にある市。1951年(昭和26)市制施行。1961年水本(みずもと)村を編入。2001年(平成13)特例市に、2019年中核市に移行。JR片町線、京阪電気鉄道京阪本線、国道1号、寝屋川バイパス、鳥飼仁和寺大橋有料道路、第二京阪道路、国道163号、170号(大阪外環状線)が通じる。市域は、東部の枚方(ひらかた)丘陵と西部の淀川・寝屋川の低湿地に二分され、低湿地は水害が多く、古代には記紀にみえる茨田堤(まんだのつつみ)、近世には豊臣(とよとみ)秀吉による文禄堤(ぶんろくづつみ)などの堤防が築かれ、治水が図られた。堤防上は参勤交代路ともなった。明治末期、京阪電鉄が開通して大阪市内と結ばれ、香里園(こうりえん)の住宅地の開発が進められた。第二次世界大戦後は丘陵地の住宅地化が進み、低地部では工場進出が目だっている。また、大阪電気通信大学、摂南大学があり、学園都市でもある。「成田さん」で親しまれる成田山不動尊は千葉県成田山の別院で、交通安全の祈願が多い。国指定史跡に石宝殿古墳、高宮廃寺跡がある。なお、御伽草子(おとぎぞうし)の「鉢かづき」の話は東高野(ひがしこうや)街道沿いの寝屋(旅人の宿)を舞台にしたものといわれる。面積24.70平方キロメートル、人口22万9733(2020)。
[安井 司]
『『寝屋川市誌』(1966・寝屋川市)』▽『『寝屋川市史』全10巻(1991~2008・寝屋川市)』
大阪府北東部の市。1951年市制。人口23万8204(2010)。市域の東部は枚方(ひらかた)丘陵に当たり,西部は,淀川に沿う低地である。丘陵からは縄文時代や弥生時代の土器が出土し,古墳も多い。東高野街道に沿った打上(うちあげ)には,古墳時代終末期の横口式石槨墳といわれる石宝殿(いしのほうでん)古墳(史)がある。淀川低地には支流の寝屋川,古川が流れ,自然堤防が発達し,古くからの集落には,水防のための段蔵がみられる。江戸時代にはワタ作が盛んであったが,明治以降れんこんなどの生産に変わった。1910年の京阪電鉄開通以後,丘陵地の香里園(こうりえん)を中心に住宅地化が始まり,60年前後から淀川低地部へ拡大した。低地部には国道1号線や大阪外環状線に沿って金属,機械,電気などの工場や倉庫も進出し,住宅と工場が混在している。成田不動尊の別院や北河内の式内社中唯一の大社である高宮神社がある。
執筆者:秋山 道雄
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