西塔の南に一段高く位置し、壇上伽藍の西端にあたる。「みやしろ」ともよばれる。北から
御社は弘仁一〇年(八一九)五月三日、空海が高野山の鎮守として勧請したといわれ、その時の啓白文と称するものも伝わるが(高野山興廃記)、実際に勧請されたのは初代検校雅真(長保元年没)の時代であったとみられている。高野山を維持し、興隆させるには、山麓周辺の有力者の援助を得る必要があった。真然(寛平三年没)の時代に、高野山と
とあり、その創建はおそらく一一世紀中頃と考えられる。院政期に入ると皇族の登山が相次ぎ、当社に度々奉幣が行われた。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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