明治〜昭和期の歴史学者 エール大学名誉教授。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
近代の歴史学者。福島県生まれ。幼年より英語に秀で、東京専門学校(現早稲田(わせだ)大学)文学科を卒業。ダートマス大学、エール大学大学院に学び「大化改新」の研究で哲学博士の学位を得、エール大学教授、同付属図書館日華資料部長、同名誉教授となる。『日露衝突』『日本の禍機(かき)』など国際的視野にたった独自の日本論と、『日本初期の社会制度』『島津忠久(ただひさ)の生ひ立ち―低等批評の一例』『荘園(しょうえん)の研究』(遺稿集)など東西比較封建制度研究の業績がある。また1917年(大正6)7月から1919年10月まで日本封建時代研究のため帝大史料編纂(へんさん)所へ留学、その際鹿児島県薩摩(さつま)郡入来(いりき)村(現、薩摩川内(さつませんだい)市入来町)で収集した史料とその研究を『THE DOCUMENTS OF IRIKI』(入来文書)として1929年に刊行した。この本は、封建制時代の史料集の英訳と英文の荘園研究書として著名で、最近邦訳された。
[三木 靖]
『阿部善雄著『最後の日本人――朝河貫一の生涯』(1983・岩波書店)』
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日欧封建制研究に卓越した業績を残した歴史学者。イェール大学名誉教授。福島県二本松に生まれ,安積中学に学び,のち東京専門学校(現在の早稲田大学)を卒業。1896年渡米,ダートマス大学に留学。のちイェール大学大学院に学び,《大化改新》(英文)で同校より学位を授与された。その後,同大学で日本史,ヨーロッパ中世史を講義し,76歳でワーズボロに没した。およそ50年におよぶ滞米中の学術研鑽において朝河の名を不朽にしたのは,比較法制史の分野に大きな貢献をなした《The Documents of Iriki》(入来文書)の翻訳,研究であった。これは1917年(大正6)より2年間の日本留学のおり,現地での文書採訪を基礎に29年英米で刊行されたものである。また日本の荘園の内部構造の特殊性に着目した数々の論考を公表し国際的評価を博した。同時にそのグローバルな視野は歴史家のそれであるとともに同時代の警世家のそれでもあった。唯一の和文著書《日本の禍機》(1909)には当時の日本の針路を憂える朝河の姿勢が貫かれている。
執筆者:関 幸彦
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… 入来院の一帯は樋脇・入来2筋の小河川をとりまく小平野とそれに流れこむ多数の谷戸の集合から成り立っており,中世在地領主の山村支配のあり方を示すよい典型であるが,地理的環境が比較的よく保存されている上に,現在につづく渋谷氏各家が伝えた豊富な《入来院文書》のために,早くから中世武士と村落研究の宝庫として注目されてきた。すでに大正年間アメリカ合衆国イェール大学教授となった朝河貫一は同文書の翻訳とそれにもとづく中世封建制研究の成果を世界に公にし,いらい欧米の日本封建制研究はこれをおもな拠り所として発達したが,日本においては,第2次大戦後の社会経済史研究の隆盛のなかで,同院は荘園村落,在地領主の惣領制,農民の経営体としての在家,門など地域社会の支配と構造を解明するための宝庫として注目をあび,それらをテーマとする幾多の研究を生むとともに,乱開発による景観破壊をとどめて歴史的景観を維持するための努力も重ねられるようになった。なお朝河貫一によってはじめられた入来院中世文書の刊行は,1955年著作刊行委員会の手で増訂を施し完成され,81年には《近世入来文書》も刊行されて,入来院の歴史を探るための文献史料はほぼ完備したといえよう。…
…
【日本】
日本の荘園についての従来の研究は大きく二つの潮流に分かれる。 第1は荘園を私的大土地所有の形態とみて,その内部構造を究明しようとする流れで,近代史学史の主流をなし,中田薫,朝河貫一,牧健二らにより,西欧との比較を通して確立した見方である。ただ中田薫が荘園領主権を公法上の支配権とし,朝河貫一が荘園とマナーの相違を強調,牧健二が職(しき)の官職的・公法的側面に着目するなど,西欧の封建制との違いにそれぞれ注目していることは見のがせない。…
…また建築,芸術の分野における草分け的研究としては,日本の民家を詳しく紹介したE.S.モースの《日本のすまいとその周囲》(1886)や,E.F.フェノロサの遺作《東亜美術史綱》(1912)と,詩人E.パウンドが発表したフェノロサの漢詩と能楽の研究も重要である。 ボストン美術館東洋部部長を務めた岡倉天心,イェール大学の朝河貫一(1873‐1948),コロンビア大学の角田(つのだ)柳作(1877‐1964)など,アメリカにおける日本研究に尽力した日本人の役割も見逃してはならない。朝河はイェール大学で博士号を取得し,1906年から同大学で日本語,日本史を担当するかたわら,日本関係図書も収集し,のちのイェール大学の日本研究発展の基礎を築いた。…
※「朝河貫一」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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