薩摩川内(読み)さつませんだい

精選版 日本国語大辞典 「薩摩川内」の意味・読み・例文・類語

さつませんだい【薩摩川内】

鹿児島県北西部の市。平成一六年(二〇〇四川内市と周辺町村が合併して成立。市域には甑列島も含まれる。

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デジタル大辞泉 「薩摩川内」の意味・読み・例文・類語

さつませんだい【薩摩川内】

鹿児島県北西部にある市。川内川下流の九州本土区域と、甑島こしきしま区域からなる。奈良時代には薩摩国府が置かれた。平成16年(2004)川内市、樋脇ひわき町、入来いりき町、東郷町祁答院けどういん町、里村上甑かみこしき村、下甑しもこしき村、鹿島村が合併して成立。人口10.0万(2010)。

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改訂新版 世界大百科事典 「薩摩川内」の意味・わかりやすい解説

薩摩川内[市] (さつませんだい)

鹿児島県北西部(甑島(こしきじま)列島を含む)の市。2004年10月川内(せんだい)市と入来(いりき),祁答院(けどういん),東郷(とうごう),樋脇(ひわき)の4町および甑島列島の鹿島(かしま),上甑(かみこしき),里(さと),下甑の4村が合体して成立した。人口9万9589(2010)。

薩摩川内市南東端の旧町。旧薩摩郡所属。人口6454(2000)。東は藺牟田(いむた)山塊,南は八重山に囲まれ,小盆地をなす。山岳地帯に源を発する前川内川,後川内川が入来川となって北流し,川内川に注ぐ。町名は入来院の名にちなむ。基幹産業は農業で,農業粗生産額の8割を畜産物が占め,その大半がブロイラーである。清色(きよしき)城跡を中心に麓集落のたたずまいを残す麓地区,旧野町の町地区,JRバス入来駅から入来温泉にかけての地区がそれぞれ小中心地となっている。国道328号線が町の中央を南北に通じる。
執筆者:

薩摩川内市の島嶼部にある旧村。旧薩摩郡所属。甑島列島南部,下甑島北東端を占める。人口892(2000)。1948年下甑村のうち大字藺牟田が分村して成立。村名は藺牟田に鎮座する鹿島神社にちなむ。三方を海に囲まれ,海岸線は複雑で岬が多く,特に西側は鹿島断崖と称される海食崖が約10km続く。村域のほとんどが山地で,集落は北東部の東海岸に開けた小平地に立地する。農業は不振で,特産のカノコユリの栽培と畜産の振興がはかられている。沿岸漁業が産業の中心で,ブリ,アジ,カツオ,イカなどの漁獲が多い。小牟田南部には里道レクリエーション村がある。隣村の下甑村との間には道路がなく,船で連絡していたが,1984年県道が完成。

薩摩川内市の島嶼部にある旧村。旧薩摩郡所属。甑島列島北端の上甑島西半と,その南に位置する中甑島(平良(たいら)島)からなる。人口2008(2000)。遠目木山(423m)を最高峰とする標高200~300m内外の山地が大部分を占める。複雑なリアス海岸線をなし,わずかな平地に集落が形成されている。北部の海鼠(なまこ)池や貝池は,かつての小湾入が浜堤の発達によりせき止められた潟湖で,約3kmの浜堤は長目ノ浜と呼ばれる。周辺は甑島県立自然公園を代表する景勝地。耕地は山頂近くまで階段状をなし,野菜や特産のカノコユリの栽培,畜産が行われるが,過疎化により荒廃が目だつ。基幹産業は漁業で,平良港を中心としてブリ,アジ,イワシなどの水揚げが多く,浦内湾では真珠養殖が行われている。
執筆者:

薩摩川内市東端の旧町。旧薩摩郡所属。人口4625(2000)。町域の大半は山地,丘陵に覆われるが,川内川支流の久富木川,大王川,後川内川がシラス台地を開析して,わずかな沖積低地を形成する。古くは島津荘寄郡祁答院の地で,鎌倉時代以降,地頭祁答院氏が支配した。南北朝期から室町時代にかけて同氏一族と島津氏の抗争の地となったが,戦国末期に島津氏の支配下に入り,近世は下手に大村郷,藺牟田に藺牟田郷,黒木に黒木郷の地頭仮屋が置かれ,町場も形成された。稲作を主体とする農業が主産業で,良質のもち米の産地として知られるが,近年は人口の減少が続き観光開発,工場の誘致を図っている。1970年代以降,電子工業が進出した。町の南西端に藺牟田池があり,天然記念物の浮島(泥炭形成植物群落)がある。
執筆者:

薩摩川内市の島嶼部にある旧村。旧薩摩郡所属,甑島列島北端の上甑島東部を占める。人口1517(2000)。中心集落はトンボロと呼ばれる陸繫砂州上に発達している。甑島列島の北の玄関口にあたり,串木野港との間に定期船が通じる。米,サツマイモ,特産のカノコユリなどの栽培のほか,肉用牛や豚の共同飼育が盛んである。また好漁場に恵まれ,漁港の整備によって漁獲高も増加している。中世,甑島地頭となった小川氏の居城である亀鶴城跡や津口番所跡,遠見番所跡などの史跡がある。北西部の須口池や鍬崎池は砂州が形成した潟湖で,上甑島第一の景勝地である。山間部の谷あいは,ヘゴ自生北限地帯として国の天然記念物に指定されている。

薩摩川内市の島嶼部にある旧村。旧薩摩郡所属。甑島列島南端の下甑島中・南部を占める。人口2803(2000)。島の中央部は甑島列島の最高峰尾岳(604m)をはじめ,青潮岳(511m),口岳(488m)などの山々が重なり,海岸線は急崖の岩石海岸のため,平地はきわめて少ない。中心集落は南端の手打で,東海岸の長浜とともに対岸の串木野港へ定期船が通じる。産業は古くから盛んな漁業が中心で,近年,漁港,港湾施設,漁船の近代化が進み,漁場造成,稚貝放流なども行われている。農業はわずかな米作,サツマイモ栽培などのほか,カノコユリ,シイタケの栽培が奨励され,畜産を導入した複合経営に移行しつつある。西海岸の海食崖は雄大で,瀬々野海岸は奇岩で知られる。毎年大晦日の夜に正月の神トシドンが子どもたちに丸餅(年玉)を配る伝統行事トシドンが行われる。瀬尾の自生ヘゴは国の天然記念物に指定されている。
執筆者:

薩摩川内市西部の旧市。1940年市制。人口7万3236(2000)。川内川下流域を占め,西は東シナ海に面する。県内第3位の人口をもつ北薩(県北西部)の中心都市である。古くは千台と記されたが,1720年(享保5)藩主島津吉貴の命により,川内と改められた。大宝年間(701-704)薩摩国府が置かれ,のちに国分寺も造られた。中世には川内川河口の京泊(きようどまり),久見崎(ぐみざき),船間島(ふなまじま)の3港が中国貿易などで栄え,京泊は江戸時代,京・大坂方面への乗船地でもあった。市街地は川内川河口を約12kmさかのぼった南九州の表街道(出水(いずみ)筋)が川を渡る,宿駅のあった地に発達している。古くからの水陸交通の要地で,九州新幹線,JR鹿児島本線,肥薩おれんじ鉄道,国道3号,267号線が通じる。平野部で米作,畜産,野菜栽培が盛んである。工業は年間の出荷額で鹿児島市,国分市に次ぎ,その8割はパルプ,ファインセラミック部品等によって占められる。また2基の原子力発電所(出力各89万kW)があり,他に火力発電所2基(それぞれ50万kW)があり,合計278万kWの電源都市である。ニニギノミコトの神話にちなむ可愛(えの)山陵,薩摩国一宮新田神社や泰平寺などがあり,また中秋名月に重さ5tの大綱を3000人の男が引き合う十五夜の大綱引,文禄・慶長の役で朝鮮へ出兵して帰らぬ夫をしのぶ哀切な踊りである久見崎の〈想夫恋(そうふれん)〉などが知られる。天辰(あまたつ)では,江戸時代後期に薩摩焼の一つ,平佐(ひらさ)焼の白磁,染付,べっこう手などの磁器が焼かれた。市の北西部の山あいに川内温泉(単純硫黄泉,60℃)がある。
執筆者:

薩摩川内市北部の旧町。旧薩摩郡所属。人口5978(2000)。川内川北岸に位置し,西は旧川内市,阿久根市に接する。農業が主産業で,川内川,樋渡(ひわたし)川,田海(たうみ)川沿いの沖積低地では稲作,台地・丘陵部では畜産が行われる。1960年代からウンシュウミカンの栽培が盛んになったが,近年作付面積は減少傾向にある。川内川に沿って旧川内市に至る国道267号線が通じ,同市への通勤・通学者が多い。田海川上流にある藤川天神の臥竜梅は天然記念物に指定されている。

薩摩川内市の旧町。旧薩摩郡所属。人口7951(2000)。南部は山地,北部はシラス台地からなり,中央を樋脇川,市比野川が北流し,両川沿いに沖積低地が開ける。鎌倉時代は渋谷氏の領地で,戦国時代に島津氏領となった。主産業は農業で,米作,茶,タバコの栽培を中心に畜産も行われる。製材業やすだれ,籠などの竹製品製造も盛ん。また電気部品,精密機械部品などの工場も進出している。市比野川沿いには市比野温泉(単純泉,51~60℃)がある。
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