桂文楽(読み)カツラブンラク

デジタル大辞泉 「桂文楽」の意味・読み・例文・類語

かつら‐ぶんらく【桂文楽】

[1892~1971]落語家。8世。東京の生まれ。本名、並河益義。「明烏あけがらす」「船徳」などを得意とし、名人とうたわれた。

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精選版 日本国語大辞典 「桂文楽」の意味・読み・例文・類語

かつら‐ぶんらく【桂文楽】

  1. 落語家。
  2. [ 一 ] 四代。本名、新井文三。前名、文七、文鏡。六代桂文治に師事し、花柳界物を得意とした。天保九~明治二七年(一八三八‐九四
  3. [ 二 ] 八代。本名、並河益義。前名、さん生、馬之助。桂小南、八代桂文治、五代柳亭左楽に入門。きめこまかな演出芸風で知られた。明治二五~昭和四六年(一八九二‐一九七一

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新撰 芸能人物事典 明治~平成 「桂文楽」の解説

桂 文楽(8代目)
カツラ ブンラク


職業
落語家

肩書
落語協会会長

本名
並河 益義

別名
前名=桂 小莚,翁家 さん生,翁家 馬之助

生年月日
明治25年 11月3日

出生地
青森県 北津軽郡五所川原町(五所川原市)

出身地
東京市 下谷区根岸町(東京都 台東区)

学歴
根岸尋常小中退

経歴
生家は常陸宍戸藩主・松平家の旧臣で、父の実家である小原家は第15代将軍・徳川慶喜の御典医を務める家柄であった。税務官員であった父の任地・青森県五所川原で生まれるが、父の転勤にともない上京。幼少時から話が好きで“おしゃべり小僧”といわれた。明治35年父の病死により小学校を3年で中退し、横浜の薄荷問屋・多勢屋に奉公に出たが、しばらくして飛び出し、以降は袋物屋、玩具問屋、染物屋と奉公先を変えた。41年義父の紹介で初代桂小南の門に入り、桂小莚を名乗る。一方で、近所に住んでいた立花家左近(3代目三遊亭円馬)に厳しく稽古をつけてもらい、落語家としての力量を磨いた。43年二ツ目。44年三遊分派を興すも振るわなかった師・小南が東京の落語界から去ると、講談師の小金井芦洲率いる一座の地方巡業に参加。芦洲が逃亡し一座が解散した後は名古屋、京都、神戸、満州を転々とした。大正5年帰京して7代目翁家さん馬(8代目桂文治)に入門し、翁家さん生に改名。6年落語睦会に属して5代目柳亭左楽の門に転じ、翁家馬之助で真打ち昇進。9年桂文楽を襲名。このとき自身は6代目文楽であったが、“末広がりで縁起のいい”ということで以後8代目を自称した。昭和13年落語協会に参加。早くからラジオにも出演し、28年よりラジオ東京の専属となる。得意の演目は「素人鰻」「富久」「明烏」「寝床」「悋気の火の玉」「船徳」「厩火事」「大仏餅」などで、数は多くなかったが、一つの噺を練りに練り上げた緻密にしては正確な語り口は至芸といわれ、5代目古今亭志ん生、6代目三遊亭円生らと並び“昭和の名人”と称された。29年「素人鰻」で芸術祭賞を受賞。30年落語協会会長に就任。32年親友・志ん生に会長職を譲るが、38年脳溢血で体調を崩した志ん生に代わって会長に再任し、40年まで務めた。この間、36年落語家として初の紫綬褒章を受章。46年第42回落語研究会で「大仏餅」を口演中、神谷幸右衛門の名が出ず絶句、「もう一度勉強しなおしてまいります」の言葉を残して高座を降り、以来落語を演じることはなかった。弟子に6代目三升家小勝、7代目橘家円蔵、9代目桂文楽、6代目柳亭左楽、3代目柳家小満んらがおり、5代目柳家小さんも預かり弟子であった。自伝「あばらかべっそん」がある。上野黒門町に住み、“黒門町(の師匠)”とあだ名された。

受賞
紫綬褒章〔昭和36年〕,勲四等瑞宝章〔昭和41年〕 芸術祭賞〔昭和29年〕「素人鰻」,芸術祭賞〔昭和41年〕「富久」

没年月日
昭和46年 12月12日 (1971年)

伝記
落語のこと少し談志 最後の落語論舞台人走馬灯噺家ライバル物語わたしの寄席忘れえぬ落語家たち私の出会った落語家たち―昭和名人奇人伝談志絶倒 昭和落語家伝さよなら名人藝―桂文楽の世界志ん生的、文楽的べけんや―わが師、桂文楽哲学的落語家!新ライバル物語―闘いが生む現代の伝説〈第2巻〉落語の言語学落語家の居場所―わが愛する芸人たちわが師、桂文楽芸談 あばらかべっそん落語名人伝落語家―いま、むかし落語長屋の知恵寄席放浪記―なつかしい芸人たちはい、出前落語です―北の噺家=落語活動家の誕生 矢野 誠一 著立川 談志 著矢野 誠一 著大友 浩 著安藤 鶴夫 著興津 要 著宇野 信夫 著立川 談志 著,田島 謹之助 写真山本 益博 著平岡 正明 著柳家 小満ん 著平岡 正明 著産経新聞特集部 編野村 雅昭 著矢野 誠一 著柳家 小満ん 著桂 文楽 著関山 和夫 著興津 要 著矢野 誠一 著色川 武大 著東家 夢助 著(発行元 岩波書店梧桐書院早川書房ソフトバンククリエイティブ河出書房新社河出書房新社河出書房新社大和書房晶文社講談社河出書房新社筑摩書房柏書房平凡社文芸春秋平凡社筑摩書房白水社旺文社青蛙房廣済堂出版草の根出版会 ’09’09’09’08’08’08’07’07’07’06’05’05’04’02’00’96’92’92’87’86’86’86発行)


桂 文楽(5代目)
カツラ ブンラク


職業
落語家

本名
金坂 巳之助

旧名・旧姓
増田

別名
初名=桂 小才,前名=春風亭 若枝,春風亭 伝枝,桂 才賀(3代目)

生年月日
元治1年 1月

出生地
江戸・芝(東京都)

経歴
2代目桂才賀の長男に生まれる。金坂惣助の養子となり12歳で草履屋に奉公に出るが、のち才賀のもとに戻り噺家の修業をする。初め桂小才、のち3代目春風亭柳枝に入門し若枝。明治21年伝枝と改名。若手として活躍。29年父の名を継いで3代目桂才賀となる。4代目文楽の没後、襲名争いが起きたが、35年5月、5代目桂文楽を襲名する。江戸前の軽い洒脱な芸風で音曲噺を得意とした。晩年は翁家馬之助に文楽の名をゆずり、大正9年5月桂やまとと改名。14年桂才賀に復名。風貌から“アンパン”のあだ名があり、「三人旅」「富士詣り」などの旅ネタを得意とした。

没年月日
大正14年 4月19日 (1925年)


桂 文楽(4代目)
カツラ ブンラク


職業
落語家

本名
新井 文三

別名
前名=桂 文七,桂 文鏡

生年月日
天保9年 11月10日

経歴
江戸で古着屋を営むかたわら素人連で鶴丸亭小きんと名乗る。のち4代目桂文治に入門、文七から文鏡と改名。明治初年に4代目桂文楽を襲名する。幕末の一時期は幇間に転じて新富町の遊郭や吉原で荻江文三・松迺家〆寿と名乗っていたと云われる。円転洒脱な芸風で廓噺や人情噺を得意とした。十八番は「居残り佐平治」「音羽丹七」などで、その口癖から“デコデコの文楽”とあだ名された。晩年は引退し、印判屋をしながら時折寄席に出演していた。

没年月日
明治27年 1月28日 (1894年)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「桂文楽」の意味・わかりやすい解説

桂文楽
かつらぶんらく

落語家。初代は江戸系の3代桂文治、2代は5代文治、3代は6代文治のそれぞれ前名。

[関山和夫]

4代

(1838―94)本名新井文三。6代目文治に入門し、文七から文鏡に改名。一時、幇間(ほうかん)生活を送り、落語界に復帰して4代目を襲名。高座での口癖から「でこでこの文楽」とよばれ、吉原を背景にした人情咄(ばなし)を得意とした。

[関山和夫]

5代

(1865―1925)本名金坂巳之助(みのすけ)。1897年(明治30)5代目襲名。のち桂やまとから桂才賀(さいが)となる。

[関山和夫]

8代

(1892―1971)本名並河益義(なみかわますよし)。1908年(明治41)初代桂小南(こなん)に入門して小莚(こえん)。名古屋、京都、満州(中国東北)などを回って東京に帰り、翁家(おきなや)さん馬(8代文治)門下となって翁家さん生。5代柳亭左楽(りゅうていさらく)門人として翁家馬之助で真打。1920年(大正9)文楽を襲名。正しくは6代目だが、末広がりで縁起がよいと、8代目と称する。その居住地にちなみ「黒門町の師匠」とよばれ、『富久(とみきゅう)』『愛宕山(あたごやま)』『船徳(ふなとく)』『明烏(あけがらす)』『つるつる』『寝床(ねどこ)』『厩(うまや)火事』などで一点一画もゆるがせにしない、洗練された名人芸を完成させた。1955年(昭和30)から10年間、落語協会会長を務めた。1992年(平成4)8代文楽の弟子であった桂小益(本名武井弘一、1938― )が9代文楽を襲名した。

[関山和夫]

『『桂文楽全集』上下(1973・立風書房)』

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20世紀日本人名事典 「桂文楽」の解説

桂 文楽(8代目)
カツラ ブンラク

大正・昭和期の落語家 落語協会会長。



生年
明治25(1892)年11月3日

没年
昭和46(1971)年12月12日

出生地
青森県五所川原町(現・五所川原市)

出身地
東京市下谷区根岸町(現・東京都台東区)

本名
並河 益義

別名
前名=桂 小莚,翁家 さん生,翁家 馬之助

学歴〔年〕
根岸尋常小中退

主な受賞名〔年〕
芸術祭賞〔昭和29年〕「素人鰻」,芸術祭賞〔昭和41年〕「富久」,紫綬褒章〔昭和36年〕,勲四等瑞宝章〔昭和41年〕

経歴
税務官員の父の転勤にともない上京。10歳の時父が病死したため、小学校3年で中退、奉公に出たが、明治41年初代桂小南の門に入り、3代目三遊亭円馬に師事。小南の失脚後は名古屋、京都、神戸、満州と旅で修業。大正5年に帰京、7代目翁家さん馬(8代目桂文治)に入門、翁家さん生と名乗る。6年5代目柳亭左楽の門に転じ、翁家馬之助で真打。9年8代目桂文楽を襲名。「素人鰻」「富久」「明烏」「寝床」などが得意で、昭和29年「素人鰻」で芸術祭賞受賞。30〜32年、38〜40年落語協会会長。36年落語家として初の紫綬褒章を受章した。46年第42回落語研究会で「大仏餅」を口演中、神谷幸右衛門の名が出なくて中断、「勉強しなおしてまいります」の言葉を残して高座を降り、以来落語を演じなかった。著書に「あばらかべっそん」。上野の黒門町に住み、“黒門町”といえば桂文楽のことをさした。

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改訂新版 世界大百科事典 「桂文楽」の意味・わかりやすい解説

桂文楽 (かつらぶんらく)

落語家。初代は3代桂文治。2代は5代文治。3代は6代文治。(1)4代(1838-94・天保9-明治27) 本名新井文三。もと印判屋。6代文治に入門し,文七から文鏡になったところで,松廼家〆寿(まつのやしめじゆ)の名で新富町から幇間(ほうかん)に出て,吉原に転じて荻江文三と称したが,落語界に復帰して4代目襲名。幇間の経験がものをいい,《音羽丹七》《雪の瀬川》などの花柳界物を得意にし,その口ぐせから〈デコデコの文楽〉と呼ばれた。(2)8代(1892-1971・明治25-昭和46) 本名並河益義。初代桂小南に入門して小莚(こえん)といったが,のち7代翁家(おきなや)さん馬(8代桂文治)に師事し,さん生から馬之助で真打昇進。さらに5代柳亭左楽門下になって文楽を襲名。実際は7代だが,八は開くという縁起をかついで8代と称する。《富久》《寝床》《明烏》などの細密な演出で名人芸とうたわれた。

 4代と8代とのあいだは,桂やまと(1925没)の金阪己之助が文楽を襲名した以外は不明。
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百科事典マイペディア 「桂文楽」の意味・わかりやすい解説

桂文楽【かつらぶんらく】

落語家。初代は3代桂文治。4代〔1838-1894〕は幇間(ほうかん)の経験を生かして,廓(くるわ)ばなしに長じた。8代〔1892-1971〕は本名並河益義(なみかわますよし)。円熟した名人芸をもち,《富久》《寝床》《船徳》《明烏》などを得意とした。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「桂文楽」の意味・わかりやすい解説

桂文楽(8世)
かつらぶんらく[はっせい]

[生]1892.11.3. 青森
[没]1971.12.12.
落語家。本名並河益義。 1920年,8世襲名。実際には6代目だったが縁起をかついで終生8代目を名のった。明快な語り口,正確な人間描写,簡潔な表現力でリアリズム落語の最高をきわめ,5世古今亭志ん生とともに昭和期の落語を代表する存在となる。 55~57年,63~65年落語協会会長。 54年,66年芸術祭賞,1961年には落語家としてはじめて紫綬褒章を受章。上野黒門町に住み「黒門町の師匠」あるいは「黒門町」と呼ばれた。

桂文楽(9世)
かつらぶんらく[きゅうせい]

[生]1938.9.21. 東京
落語家。本名武井弘一。8世桂文楽門下で,桂小益から 1992年9世襲名。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「桂文楽」の解説

桂文楽(8代) かつら-ぶんらく

1892-1971 大正-昭和時代の落語家。
明治25年11月3日生まれ。41年初代桂小南(こなん)に入門。大正6年翁家(おきなや)馬之助の名で真打となり,9年8代桂文楽を襲名(実際は6代)。明快な語り口とたくみな人間描写で「素人鰻(うなぎ)」「明烏(あけがらす)」などを得意とした。落語協会会長。昭和46年12月12日死去。79歳。青森県出身。本名は並河益義。

桂文楽(4代) かつら-ぶんらく

1838-1894 幕末-明治時代の落語家。
天保(てんぽう)9年11月10日生まれ。4代桂文治の門にはいり,桂文七のち桂文鏡を名のる。一時幇間(ほうかん)をしていたが,6代桂文治の門下として落語界にもどり,4代文楽を襲名。吉原などを題材とした人情噺(ばなし)を得意とし,デコデコの文楽とよばれた。明治27年1月28日死去。57歳。本名は新井文三。

桂文楽(初代) かつら-ぶんらく

桂文治(かつら-ぶんじ)(3代)(1)

桂文楽(2代) かつら-ぶんらく

桂文治(かつら-ぶんじ)(5代)

桂文楽(3代) かつら-ぶんらく

桂文治(かつら-ぶんじ)(6代)

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367日誕生日大事典 「桂文楽」の解説

桂 文楽(8代目) (かつら ぶんらく)

生年月日:1892年11月3日
大正時代;昭和時代の落語家。落語協会会長
1971年没

桂 文楽(4代目) (かつら ぶんらく)

生年月日:1838年11月10日
明治時代の落語家
1894年没

桂 文楽(9代目) (かつら ぶんらく)

生年月日:1938年9月21日
昭和時代;平成時代の落語家

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世界大百科事典(旧版)内の桂文楽の言及

【落語】より

… 円朝と同時代にはまた多くの名手がいた。円朝と並ぶ人情噺の名手初代柳亭(談洲楼(だんしゆうろう))燕枝(えんし),やはり人情噺をよくした3代麗々亭柳橋(れいれいていりゆうきよう)(のち春錦亭柳桜(しゆんきんていりゆうおう))(1835‐97),芝居噺の名手6代桂文治,花柳物の名手4代桂文楽,落し咄,人情噺ともによくした2代古今亭志ん生,滑稽噺の2代柳家(禽語楼(きんごろう))小さんなどがそれだった。異彩を放ったのは,〈ステテコ踊り〉の,俗に初代ともいう3代三遊亭円遊,鉄道馬車のラッパを吹く音曲師4代橘家(たちばなや)円太郎(?‐1898),〈郭巨(かつきよ)の釜掘り踊り〉の4代立川談志(?‐1889),〈ヘラヘラ踊り〉の三遊亭万橘(まんきつ)(?‐1894)という〈寄席四天王〉で,彼らは珍芸を売物にして人気を博した。…

※「桂文楽」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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