中国,秦始皇帝による学術・思想の統一策。書籍を焼き,学者を坑(あなうめ)して殺すこと。前221年に天下を統一した始皇帝は,法家の李斯(りし)を抜擢し,従来の封建制を廃止して郡県制を施行するなど,徹底した法家思想にもとづく各種の統一政策を実施した。しかしこの法家一色の政治に対しては,他の儒家をはじめとする各学派は反対であり,おのおの公然と自説を主張した。たまたま前213年,皇帝招宴の席で博士の淳于越(じゆんうえつ)が殷・周時代の封建制を賛美して始皇帝の政治を非難したため,当時丞相の官にあった李斯は強硬策を進言。それにもとづいて〈秦の記録,博士の官の蔵書,医薬,卜筮(ぼくぜい)および農業書以外の書籍はすべて政府に没収して焼き捨てる。これに違反する者,また儒教の経典を読んで議論したり,政治を非難する者は,すべて極刑に処する〉と定めた。これが焚書である。坑儒は,方士(神仙術の体得者)の説く神仙思想に熱中し,あらゆる手段を講じて不老不死の霊薬をさがし求めた始皇帝が,やがて彼らに欺かれていたことを知り,焚書の翌年に方士のみならず諸生(学者)も同類とみなして捕らえて訊問したところ,互いに罪をきせあってのがれようとしたため,禁令を犯して妖言をまきちらしたという理由で460余人を穴埋めにして殺した事件である。
焚書が徹底した法家主義にもとづく学問の自由の弾圧であったのと異なり,坑儒の場合は方士のでたらめな言動に対する始皇帝の憤慨が直接の動機であったが,そのために儒家など多くの学者が殺されたことは,結果としては焚書と同じく学問・思想の圧迫にほかならなかった。この焚書坑儒によって春秋戦国以来の諸子百家の学問の進歩は中絶され,また多くの古書・古記録が失われて,中国文化は取り返しのつかない大きな損失を受けた。
→焚書
執筆者:永田 英正
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中国、秦(しん)の始皇帝による思想言論弾圧事件。始皇帝の天下統一から8年後の紀元前213年に、博士淳于越(じゅんうえつ)が古制に従って子弟を封建するよう建議したのに対し、丞相(じょうしょう)の李斯(りし)は、学者たちが昔の先例を引いていまの政治を批判するのを禁止せよと上奏した。始皇帝はその主張をいれて、『秦記』(秦国の史官の記録)および医薬、卜筮(ぼくぜい)、種樹(しゅじゅ)(農業)の書物以外は、『詩経』『書経』や諸子百家の書を民間で所蔵することを禁止し、すべて焼き捨てることを命じた。さらに翌年、始皇帝を批判した疑いのある方士(ほうし)、儒生460人余りを検挙し、都の咸陽(かんよう)で「坑(あなうめ)」の刑に処した。旧中国における第一の思想言論弾圧事件とされるもので、とくに焚書令による文化的損失は大きかったが、その後10年もたたぬうちに秦帝国は滅亡した。
[小倉芳彦]
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秦の始皇帝が丞相(じょうしょう)李斯(りし)の建言により,前213年医薬,卜筮(ぼくぜい),農事などの実用書を除くすべての書物を焼き,ついで翌年,儒生を捕え,その460余人を咸陽(かんよう)で穴埋めにした事件。法家主義に徹し,思想統制を目的としたこの事件は,後世の儒教の立場で粉飾誇張されているらしいが,これによって先秦の古書の多くが亡失したとされる。
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…ことに法家は,現実的な法統治政策には,尚古思想は阻害要因になるとして,はげしくそれを排斥する。李斯(りし)が行ったとされる〈焚書坑儒〉は,尚古思想の排斥にほかならない。尚古思想は,儒学が官学化された漢から清に至るまで支配的であったが,三国時代から六朝期にかけては,その風潮は比較的稀薄であった。…
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