精選版 日本国語大辞典 「藤原隆家」の意味・読み・例文・類語
ふじわら‐の‐たかいえ【藤原隆家】
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平安中期の公卿(くぎょう)。藤原道隆(みちたか)の4子。母は高階成忠(たかしなのなりただ)の女(むすめ)貴子、幼名を阿古という。996年(長徳2)権中納言(ごんちゅうなごん)のとき、兄内大臣伊周(これちか)とともに、花山(かざん)法皇をおどし射った罪によって出雲権守(いずもごんのかみ)に配流され、病のため但馬(たじま)にとどまった。997年、東三条院詮子(せんし)の病気によって伊周とともに召還された(『栄花物語』に誤りあり)。帰京し兵部卿(きょう)となり、本官に復し、のち従三位(じゅさんみ)に進んだ。1002年(長保4)権中納言に再任され、04年(寛弘1)正三位、07年従二位、09年中納言となった。
三条(さんじょう)天皇の代となって眼病にかかり、宋(そう)の名医に治療を受けるという名目で1014年(長和3)大宰権帥(だざいのごんのそち)になり、翌年赴任。正二位となる。19年(寛仁3)刀伊(とい)の賊の来襲を撃退したため武勇の名をあげた。この年、任を辞して帰京、朝廷からは報いられず、23年(治安3)中納言を辞任。37年(長暦1)ふたたび大宰権帥に任ぜられ、42年(長久3)辞任した。長久(ちょうきゅう)5年正月1日薨(こう)じた。
[山中 裕]
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(朧谷寿)
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979~1044.1.1
平安中期の貴族。父は関白道隆,兄は伊周(これちか),姉は一条天皇皇后定子。989年(永祚元)従五位下。990年(正暦元)父道隆が実権を握ると,若くして左少将・従三位・中納言と昇進。父の没後,叔父道長との権力争いに敗れ,出雲権守に左遷。998年帰京,のち中納言に再任した。大宰権帥を兼ねて赴任し正二位となり,在任中1019年(寛仁3)刀伊(とい)入寇の撃退に活躍した。
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…彼らは50余隻の船団でまず対馬・壱岐を襲い,さらに筑前国怡土郡等に侵入し,各地で千数百人の人々を捕らえ,老人や子どもを含む四百数十人を殺し,牛馬や犬を殺して食し,穀米を略奪し,民家45宇を焼く等の惨害を与えた。現地最高責任者の中納言兼大宰権帥藤原隆家は,中央政府に急報するとともに,軍を整え防戦を命じた。大宰府軍は勇戦これを撃退し,刀伊は最後に肥前国松浦郡を襲ったが,現地の武力に撃退され退去した。…
※「藤原隆家」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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