中国、秦(しん)朝末期の英雄項羽(こうう)の寵姫(ちょうき)。虞姫(ぐき)ともいう。項羽と劉邦(りゅうほう)の戦いも終末を迎え、項羽は垓下(がいか)(安徽(あんき)省霊璧(れいへき)県の南東)に囲まれて四面楚歌(しめんそか)となった。項羽は最後の酒宴を開いた。かたわらに虞姫がおり、また愛馬騅(すい)がいた。「力山を抜き、気は世をおおう。時に利あらず騅ゆかず。騅ゆかずしていかんせん」と項羽は歌い、虞姫もこれに和した。これが『史記』「項羽本紀」にみえる話であり、その後の虞姫の運命は不明である。なお『楚漢春秋(そかんしゅんじゅう)』には、虞姫が項羽の死後どうして生きていけようかといったとあり、また後の宋(そう)代の曽鞏(そうきょう)(異説もある)の詩「虞美人草」に、虞姫の血が化して虞美人草となったのだとあるが、これらは史実とは別のことである。
[尾形 勇]
中国,項羽の愛姫で虞姫ともいう。5年にわたる楚・漢抗争のすえ,前202年に項羽は劉邦の漢軍によって垓下(がいか)(安徽省霊璧県)に囲まれた。夜,四面から聞こえてくる楚の歌に,項羽は郷里の楚も漢におちたことを悟り(四面楚歌),虞美人をかたわらに決別の酒宴をひらいた。項羽は悲憤慷慨し,涙して辞世の詩をうたうと,彼女も唱和し,みな泣き伏したという。虞美人草の名は,彼女の鮮血が化して草花になったという伝から来ている。
執筆者:永田 英正
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…四周を漢軍に包囲され,四面みな楚歌するを聞いた項羽は,楚地がすべて漢軍についたと思い,最期と観念した。〈垓下の歌〉を作り,天に見放された不運を嘆き,愛馬の騅(すい)と虞美人(ぐびじん)の行く末を案じたあと,奮戦してみずから命を絶った。〈四面楚歌〉はこの故事にもとづく。…
…覇王項羽は,漢王劉邦の大軍に垓下(がいか)で取り囲まれた。四面楚歌――張良の歌声作戦にかかり,今やこれまでと思った項羽は,愛姫虞美人と最後の宴をはり,悲歌慷慨して〈力,山を抜き,気,世を蓋(おお)う。時,利あらず,騅(すい)逝かず……虞や虞や,若(なんじ)を奈何(いかん)せん〉と唱えれば,虞姫は剣を抜いて舞をまったのち自決する。…
※「虞美人」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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