日本大百科全書(ニッポニカ) の解説
連合国最高司令官総司令部
れんごうこくさいこうしれいかんそうしれいぶ
General Headquarters of the Supreme Commander for the Allied Powers
略称GHQ。第二次世界大戦後、日本を占領した連合国の中央管理機構。連合国は、アメリカの主導権のもとに、アメリカの太平洋陸軍司令官マッカーサーを連合国最高司令官に任命した。日本の降伏に伴い、1945年(昭和20)8月30日、マッカーサーが厚木飛行場に到着し、9月2日、東京湾上の戦艦ミズーリ号で降伏文書の調印が行われ、連合軍による日本占領が急速に進んだ。そして、日本占領のための連合国最高司令官総司令部が設置された。連合軍といっても、わずかばかりのイギリス連邦軍が参加しただけで、実質はアメリカ軍であり、総司令部はアメリカ占領軍総司令部にほかならなかった。したがって、総司令部のスタッフは、みなアメリカ軍人と民間人で構成されていた。
対日占領の特徴は、直接の軍政ではなく、占領軍の命令を日本政府に責任をもって施行させる間接統治方式にあった。占領軍の命令は、1945年9月20日の勅令542号「ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件」に基づく「ポツダム勅令」(新憲法施行後は「ポツダム政令」)とよばれ、絶対的な超法規的な性格をもっていた。また45年9月6日付けの「連合国最高司令官の権限に関するマッカーサーへの通達」によると、「日本の管理は、日本政府を通じて行われるが、これは、このような措置が満足な成果を挙げる限度内においてであ」り、「必要があれば直接に行動する貴官の権利を妨げるものではない」とされていた。
1946年2月、政策決定最高機関として極東委員会が、同年4月、最高司令官の諮問機関として対日理事会が設置されたが、緊急事態が発生した際、アメリカが最高司令官に「中間指令」を発する特権が認められており、アメリカ占領軍としての実質は変わらなかった。
総司令部の機構は、参謀部と幕僚部に分かれていた。参謀部は、第一部(人事)、第二部(情報)、第三部(作戦)、第四部(後方)の四部に分かれ、とくに諜報(ちょうほう)、保安、検閲などを任務とする第二部(G2)が占領政策に大きな発言権をもっていた。また幕僚部は、政治行政の全般を担当した民政局(GS)、財閥解体など経済行政を担当した経済科学局(ESS)、教育・文化政策を担当した民間情報教育局(CIE)、農地改革を進めた天然資源局(NRS)などからなっており、とくに、民政局は、占領初期の憲法改正、警察改革、地方自治の推進、選挙制度改革など「非軍事化・民主化」政策を推進したGHQ内の中枢部局であった。
冷戦の開始に伴い、初期の占領政策が転換し始めると、GHQ内部の、とくにG2とGSの対立が表面化するが、反共的な軍部右派を代表するG2の発言権が増大していくことになる。
1951年、朝鮮戦争に関して、マッカーサーがトルーマン米大統領と衝突し、解任され、M・B・リッジウェーが最高司令官に任命された。1952年4月、講和条約の発効と同時に、GHQは廃止されることになった。
[山田敬男]
『竹前栄治著『GHQ』(岩波新書)』