オリビエ(英語表記)Olivier, Laurence (Kerr), Baron Olivier of Brighton

精選版 日本国語大辞典 「オリビエ」の意味・読み・例文・類語

オリビエ

(Sir Laurence Olivier サー=ローレンス━) イギリスの俳優、演出家シェークスピア劇を得意とし、その映画化で国際的に有名になる。(一九〇七‐八九

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デジタル大辞泉 「オリビエ」の意味・読み・例文・類語

オリビエ(Laurence Olivier)

[1907~1989]英国の俳優・演出家。シェークスピア劇で名声を得た。映画「ハムレット」「リチャード三世」などを主演・監督

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「オリビエ」の意味・わかりやすい解説

オリビエ
Olivier, Laurence (Kerr), Baron Olivier of Brighton

[生]1907.5.22. サリー,ドーキング
[没]1989.7.11. ウェストサセックス
イギリスの俳優。 1926~28年バーミンガム・レパートリー劇場に所属。 35年ニュー・シアターで J.ギールグッド交互出演した『ロミオとジュリエット』のロミオとマーキューシオの2役で注目された。 37年オールド・ビック劇場に加わり,『ハムレット』 (1937) をはじめ,『マクベス』や『オセロ』のイアーゴーなどで,シェークスピア俳優としての名声を確立。 44~49年オールド・ビック劇場の共同監督。 55年シェークスピア記念劇場 (現ロイヤル・シェークスピア劇場) で『タイタス・アンドロニカス』の注目すべき復活上演を行なったほか,『ペール・ギュント』 (45) ,『オイディプス王』 (45) ,シェリダンの『悪口学校』 (48) ,C.フライの『観測されたビーナス』 (50) などですぐれた演技を見せた。 62~65年チチェスター演劇祭の監督をつとめ,また 62年ナショナル・シアター設立に伴い監督に就任し,第1回公演の『ハムレット』 (63) を演出,また 64年初めてオセロを演じて大きな反響を呼んだ。多くの映画にも出演しているが,彼が制作・主演した『ハムレット』 (1948年アカデミー作品賞・主演男優賞受賞) をはじめ,『ヘンリー5世』『リチャード3世』『オセロ』のシェークスピア作品は特に有名。2番目の妻は V.リー。 47年ナイトの称号を受け,70年俳優として初めて一代貴族 life peerを許されてブライトン男爵となり,81年名誉勲爵士に叙せられた。

オリビエ
Ollivier(Olivier), Émile

[生]1825.7.2. マルセイユ
[没]1913.8.20. オートサボア,サンジェルベレバン
第二帝政末期のフランスの政治家。 1857年共和派議員となり,ナポレオン3世に接近。「第三党」の指導者から 70年1月首相に就任,ただちに「1870年憲法」を提案し,国民投票によって承認された。この憲法は帝政のもとで議会制を確立しようとするものであった (→議会帝政 ) 。次いで同年7月プロシアに宣戦布告し,普仏戦争が勃発,フランス軍は各地で撃退され,同年8月首相を辞任した。救援におもむいたナポレオン3世も同年9月スダンで包囲されたうえ捕虜となり,第二帝政は崩壊した。主著『自由帝国』L'Empire libéral (1895~1912) 。

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百科事典マイペディア 「オリビエ」の意味・わかりやすい解説

オリビエ

英国の俳優,演出家。1922年初舞台,1937年以降オールド・ビック座のシェークスピア劇で活躍。アメリカ映画《嵐が丘》(1939年)等に出演。監督・主演の《ハムレット》(1948年)などシェークスピアものにも新しいスタイルを示す。1963年には英国のナショナル・シアターの初代芸術監督となり,演出・出演で活躍した。二番目の夫人であるビビアン・リーとのロマンスは有名。
→関連項目ウォルトンオトゥール三文オペラシモンズ

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改訂新版 世界大百科事典 「オリビエ」の意味・わかりやすい解説

オリビエ
Laurence Kerr Olivier
生没年:1907-89

イギリスの俳優,演出家。1920年代後半にバーミンガム・レパートリー劇団で修業した後ロンドンに出,ロミオ,ハムレットなどシェークスピア劇の役によって名声を得た。その後シェークスピアはもとより,王政復古期から現代に至るイギリス劇,ソフォクレスからイヨネスコに至る外国劇など,ほとんどあらゆる時代とジャンルの劇に出演し,知性と感性を兼ね備えた現代最高の名優とうたわれるにいたった。1963年,イギリスのナショナル・シアターの初代芸術監督となり,演出と出演の両方に活躍,この劇団の基礎を固めた。映画出演も多いが,《ヘンリー5世》(1944),《ハムレット》(1948),《リチャード3世》(1956)など,シェークスピア劇の映画化を監督と主演俳優として行ったことは特に注目される。2番目の夫人は女優のビビアン・リー,3番目の夫人も女優のジョーン・プラウライト。1947年サーの称号を受け,70年には一代限りの貴族となった。自伝《一俳優の告白》(1982)がある。
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世界大百科事典(旧版)内のオリビエの言及

【ナショナル・シアター】より

…その後,2度の大戦による建設計画の中断を経て,1951年にロンドンのテムズ川南岸の場所に建築することが決められた。場所はその後ウォータールー橋の東に最終的に確定し,他方,L.K.オリビエを芸術監督とする劇団が組織され,63年,オールド・ビックを仮の本拠として公演を始めた。オリビエは73年にP.R.F.ホールに責任者の地位を譲った。…

【モンロー】より

…その実像は,劇作家アーサー・ミラー(モンローのために《荒馬と女》の脚本を書いた)に対する〈尊敬を恋愛と誤認〉し,ユダヤ教に改宗までして結婚したほど〈芸術と知性に対する英雄崇拝〉を抱いている純情な女であったともいわれる。また,〈マリリン・モンロー・プロ〉の《王子と踊る》(1957)の監督と共演を引き受けたローレンス・オリビエは,〈モンローこそは誇大宣伝とセンセーショナリズムの完全な犠牲者である〉と語っている。モンローの死は,同じ62年に死亡したノーベル文学賞作家ウィリアム・フォークナーの死よりも大きくアメリカの新聞で扱われ,イタリアでは法王庁の機関紙から共産党の機関紙まで〈肉体女優〉の死の原因を論じ,ソビエトの政府機関紙《イズベスチヤ》は〈ハリウッドがモンローを生み,そのハリウッドがモンローを殺した〉と論じた。…

※「オリビエ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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