精選版 日本国語大辞典 「オリビエ」の意味・読み・例文・類語
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イギリスの俳優,演出家。1920年代後半にバーミンガム・レパートリー劇団で修業した後ロンドンに出,ロミオ,ハムレットなどシェークスピア劇の役によって名声を得た。その後シェークスピアはもとより,王政復古期から現代に至るイギリス劇,ソフォクレスからイヨネスコに至る外国劇など,ほとんどあらゆる時代とジャンルの劇に出演し,知性と感性を兼ね備えた現代最高の名優とうたわれるにいたった。1963年,イギリスのナショナル・シアターの初代芸術監督となり,演出と出演の両方に活躍,この劇団の基礎を固めた。映画出演も多いが,《ヘンリー5世》(1944),《ハムレット》(1948),《リチャード3世》(1956)など,シェークスピア劇の映画化を監督と主演俳優として行ったことは特に注目される。2番目の夫人は女優のビビアン・リー,3番目の夫人も女優のジョーン・プラウライト。1947年サーの称号を受け,70年には一代限りの貴族となった。自伝《一俳優の告白》(1982)がある。
執筆者:喜志 哲雄
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…その後,2度の大戦による建設計画の中断を経て,1951年にロンドンのテムズ川南岸の場所に建築することが決められた。場所はその後ウォータールー橋の東に最終的に確定し,他方,L.K.オリビエを芸術監督とする劇団が組織され,63年,オールド・ビックを仮の本拠として公演を始めた。オリビエは73年にP.R.F.ホールに責任者の地位を譲った。…
…その実像は,劇作家アーサー・ミラー(モンローのために《荒馬と女》の脚本を書いた)に対する〈尊敬を恋愛と誤認〉し,ユダヤ教に改宗までして結婚したほど〈芸術と知性に対する英雄崇拝〉を抱いている純情な女であったともいわれる。また,〈マリリン・モンロー・プロ〉の《王子と踊る》(1957)の監督と共演を引き受けたローレンス・オリビエは,〈モンローこそは誇大宣伝とセンセーショナリズムの完全な犠牲者である〉と語っている。モンローの死は,同じ62年に死亡したノーベル文学賞作家ウィリアム・フォークナーの死よりも大きくアメリカの新聞で扱われ,イタリアでは法王庁の機関紙から共産党の機関紙まで〈肉体女優〉の死の原因を論じ,ソビエトの政府機関紙《イズベスチヤ》は〈ハリウッドがモンローを生み,そのハリウッドがモンローを殺した〉と論じた。…
※「オリビエ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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