出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
歌舞伎(かぶき)俳優。屋号は河内屋(かわちや)。
[服部幸雄]
(1831―85)大工職の子とも伯耆(ほうき)国(鳥取県)の家老の落胤(らくいん)とも伝えられる。大坂の道頓堀(どうとんぼり)筑後(ちくご)芝居の前茶屋河内屋庄兵衛(しょうべえ)(河庄)の養子となった。青年時代は2世実川額十郎(がくじゅうろう)の門に入り、浜芝居で修業した。1856年(安政3)に江戸に下り、一時、4世尾上(おのえ)菊五郎の養子になり尾上梅幸と名のった。やがて大坂に帰り、63年(文久3)3月、師匠の額十郎の俳名を譲られて実川延若と改名した。世話物とくに上方(かみがた)系の和事(わごと)の名手として、4世嵐璃寛(あらしりかん)・中村宗十郎と並んで、京坂の三頭目とされた。
[服部幸雄]
(1877―1951)初世の長男。1915年(大正4)実川延二郎から2世延若となる。明治末期から大正・昭和にかけ、初世中村鴈治郎(がんじろう)とともに関西の代表的俳優として活躍した。父の芸風を継ぎ、和事に優れたほか、丸本物の実事(じつごと)系の役にも優れた技芸をみせた。50年(昭和25)日本芸術院会員になった。
[服部幸雄]
(1921―91)2世の長男。1963年(昭和38)に延二郎から3世を襲名した。立役(たちやく)から女方(おんながた)まで幅の広い役柄をこなし、古風で錦絵(にしきえ)に登場するようなユニークなマスクの持ち主であった。延二郎の時代には武智(たけち)歌舞伎でも活躍した。
[服部幸雄]
歌舞伎俳優。屋号河内屋。(1)初世(1831-85・天保2-明治18) 1841年(天保12)に2世実川額十郎に入門,56年(安政3)に6世市川団蔵に伴われて江戸へ下り,4世尾上菊五郎の養子となった。63年(文久3)には額十郎の門に復し,その3月師の俳名延若を譲られた。上方系二枚目役を得意とし,明治初年には和事の名手として京阪三羽烏の一人に数えられた。(2)2世(1877-1951・明治10-昭和26) 初世の長男。1886年3月大阪戎(えびす)座で実川延二郎の名で初舞台,1915年10月大阪の浪花座で延若となった。父の芸風の和事系の役々を継承したほかに,丸本物の実事,武道にもすぐれた手腕を示した。《夏祭》の団七九郎兵衛,《沼津》の平作,《大晏寺堤》の春藤治郎右衛門,《楼門(さんもん)》の石川五右衛門などがそれである。明治末から昭和にかけ,初世中村鴈治郎とともに関西の代表として活躍,50年には芸術院会員に推された。(3)3世(1921-91・大正10-平成3) 2世の長男。1934年に2世延二郎,63年に延若をついだ。幅広い役柄をこなし,歌舞伎的雰囲気を濃くただよわせる貴重な存在となっている。
執筆者:林 京平
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