志戸坂峠(読み)シトサカトウゲ

デジタル大辞泉 「志戸坂峠」の意味・読み・例文・類語

しとさか‐とうげ〔‐たうげ〕【志戸坂峠】

《「しどざかとうげ」とも》鳥取県岡山県の県境にある峠。標高581メートル。鳥取八頭やず智頭ちづ町と岡山県英田あいだ西粟倉にしあわくら村の境に位置する。鳥取県内では最古の峠の一つ。かつては因幡いなば街道の難所駒帰こまかえり峠ともいわれた。近世には参勤交代の道として利用され、現在、国道373号が通じる。

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日本歴史地名大系 「志戸坂峠」の解説

志戸坂峠
しどざかとうげ

坂根さかねから鳥取県八頭やず智頭ちず駒帰こまがえりを経て鳥取市に通じる峠。標高五八一―六五〇メートルで、国道三七三号はこれをトンネルで抜ける。近世は因幡鳥取藩主の参勤路である因幡往来の最大の難所で、俗に三十三曲(六十七曲とも)と称された。因幡境の当峠越の道筋がいつ頃から利用されたかは不明だが、「日本後紀」大同三年(八〇八)六月二一日条にみえる因幡国智頭郡道俣みちまた(馬二匹)が現智頭町に比定されることから、「延喜式」成立以前に山陽山陰を結ぶ官道であったとみられる。平安時代後期には因幡の国司が任国へ下る公道になっていた。

「時範記」承徳三年(一〇九九)二月一五日条に「鹿跡御坂」がみえ、当峠と考えられる。「ししと」と読んだのが「しと」に転訛したものであろう。あるいは「ししとみ」と読んだとすれば、寛政年間(一七八九―一八〇一)の成立という「因幡志」に当峠を人見ひとみ坂と称したとあるのと通じる。

志戸坂峠
しどざかとうげ

駒帰こまがえりから岡山県西粟倉にしあわくら坂根さかねへ越す峠。標高五八一―六五〇メートル。近世までは因幡・美作の国境の峠で、智頭街道(美作側からは因幡往来とよんだ)最大の難所であったが、同街道の後身である現国道三七三号はこれをトンネルで抜ける。志戸坂峠の呼称は近世には美作側からのもので、文化一二年(一八一五)成立の「東作誌」にみえるのが早い例である。因幡側では人見ひとみ(因幡志)駒帰峠(天保九年「伊勢路御帰国道中記」県立博物館蔵)などとよんだ。当峠越の道がいつ頃から利用されたかは不明だが、「日本後紀」大同三年(八〇八)六月二一日条にみえる智頭郡道俣みちまた駅が現智頭町智頭に比定されるので、これ以前から山陽と山陰を結ぶ官道であったとみられる。平安時代後期にも国司が因幡国へ下る公道として用いられており、承徳三年(一〇九九)二月、因幡国司平時範は当峠である「鹿跡御坂」を越えて因幡国府(現国府町)へ向かっている(時範記)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「志戸坂峠」の意味・わかりやすい解説

志戸坂峠
しどさかとうげ

岡山県北東部の英田(あいだ)郡西粟倉(にしあわくら)村と鳥取県八頭(やず)郡智頭(ちず)町との境界にある峠。標高581メートル。かつては因幡往来(いなばおうらい)の難所で、駒帰峠(こまがえりとうげ)ともいったが、1934年(昭和9)にトンネルがつくられ、さらに1975年(昭和50)国道373号に昇格、その後新志戸坂トンネルが建設された。

[由比浜省吾]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「志戸坂峠」の意味・わかりやすい解説

志戸坂峠
しどさかとうげ

駒帰峠ともいう。鳥取県南東部,智頭町と岡山県西粟倉村との県境にある峠。標高 581m。赤穂と鳥取とを結ぶ智頭街道の中国山地越えの峠で,古くから山陰,山陽を結ぶ重要な峠であった。山陰本線播但線開通後は一時寂れたが,中国縦貫自動車道の開通に伴い再び重要性を取戻し,峠のバイパス化で現在国道 373号線が通る。

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