海印寺(読み)カイインジ(英語表記)Haein-sa

デジタル大辞泉 「海印寺」の意味・読み・例文・類語

かいいん‐じ【海印寺】

韓国慶尚南道陝川郡の伽倻山かやさんにある寺。山号は伽倻山。韓国三宝寺刹の一。802年、新羅しらぎの哀荘王が創建。13世紀開板の高麗大蔵経の版木を所蔵。1995年「八萬大蔵経の納められた伽倻山海印寺」の名称で世界遺産文化遺産)に登録された。ヘインサ。

ヘイン‐サ【海印寺】

かいいんじ(海印寺)

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精選版 日本国語大辞典 「海印寺」の意味・読み・例文・類語

かいいん‐じ【海印寺】

[一] 朝鮮半島南部、伽倻(かや)山の南側のふもとにある寺。八〇二年、新羅(しらぎ)の哀荘王の創建と伝えられ、一三世紀に開板した高麗大蔵経板木を収蔵する。
[二] 京都府長岡京市奥海印寺にあった華厳・真言兼学の寺。弘仁一〇年(八一九文徳天皇勅願により空海の弟子道雄が開創。応仁の乱までは一〇院あったが、現在は寂照院だけが残る。海印三昧寺。

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改訂新版 世界大百科事典 「海印寺」の意味・わかりやすい解説

海印寺 (かいいんじ)
Haein-sa

韓国,慶尚南道陝川郡伽倻面にあり,韓国三大寺刹の一つ。802年(新羅哀荘王3)入唐僧順応と理貞によって創立。伽藍は峻峰伽倻山中腹の一稜線上に西面する。西から解脱門,九光楼,大寂光殿(本堂),経板庫がそれぞれ4区の壇上一直線に並び,九光楼と大寂光殿との中間に三層石塔を配した一塔並列式の伽藍配置をもち,李朝末期の建築ながら完備した伽藍は半島随一の偉観を誇る。三層石塔は創建時の造立と思われる。伽藍最上部の大蔵経板庫は,1488年(李朝成宗19)竣工になり,寄棟屋根の2棟が相対して並びたつ。現存する大蔵経の版木は,高麗の高宗が蒙古軍退散を祈願して1236年から14年間にわたって完成したもので,もとは江華島にあったが,李朝太祖(在位1392-98)の時にこの寺に移された。海印寺は数度の火災にもかかわらずそのたびに再建され,また《高麗大蔵経(こうらいだいぞうきょう)》の版木の保存に努めた。現在同版木は韓国の国宝に指定されている。
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海印寺 (かいいんじ)

京都府長岡京市にある真言宗の寺。海印三昧寺ともいう。現在は旧子院の一つ,木上山寂照院が法灯を伝える。819年(弘仁10),空海の十大弟子の一人,東大寺の僧道雄が華厳経にもとづく海印三昧の修行道場として創建。851年(仁寿1),年分度者2人を賜り,定額寺となり,最盛時には衆僧100余人に及んだが,平安末期には衰退。1265年(文永2)ごろから,東大寺の宗性が同寺尊勝院末として再興したが,応仁の兵火で寂照院をのこして焼亡。江戸時代初期に真言宗に属した。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「海印寺」の意味・わかりやすい解説

海印寺
かいいんじ

韓国(大韓民国)、慶尚南道陝川(せんせん)郡伽倻(かや)面にある寺。伽倻山(牛頭(ごず)山)海印寺と号する。新羅(しらぎ)第39代哀荘王(あいそうおう)が、積年の病をいやした順応(じゅんおう)、順貞(じゅんてい)の2僧のために802年に建立したと伝える。王は唐より大蔵経を求め、海印寺に蔵経閣を建立して納めた。のち高麗成宗(こうらいせいそう)代以来、数次にわたって大蔵経を刊刻するが、その再彫板木は海印寺に架蔵され、いわゆる『海印寺板高麗蔵』が成立した。高麗時代の盛時は七堂伽藍(がらん)および数百の殿堂・僧舎が甍(いらか)を並べて壮大な規模を誇ったが、李(り)朝代のたび重なる戦火で古来の建物の多くを焼失した。しかし、国宝の蔵経板木を納める修多羅蔵(しゅたらぞう)と、法宝殿(ほうぼうでん)は1488年の建造である。通度寺、松広寺と並ぶ韓国三大寺刹(じさつ)の一つである。この寺は1995年に世界遺産の文化遺産として登録されている(世界文化遺産)。

[里道徳雄]

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百科事典マイペディア 「海印寺」の意味・わかりやすい解説

海印寺【かいいんじ】

韓国,慶尚南道の伽【や】(かや)山にある寺。新羅(しらぎ)の哀荘王が802年に創建。規模が大きく,大寂光殿を中心に50棟をもつ。高麗朝の高宗がモンゴル軍退散を祈願して1236年に着手,1251年完成した大蔵経板木8万余枚(両面刻字)を所蔵する(この高麗大蔵経はもと江華島にあったものを14世紀末に移管)。1995年世界文化遺産に登録。通度(つうど)寺,松広(しょうこう)寺と並び朝鮮三大寺院の一つ。
→関連項目高麗本

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世界の観光地名がわかる事典 「海印寺」の解説

かいいんじ【海印寺】

韓国南部、キョンサンナムド(慶尚南道)陜川郡伽耶面のカヤサン(伽椰山)南側山腹にある仏教寺院。仏教の教典「八万大蔵経」を収めた世界遺産の海印寺大蔵経板殿(かいいんじだいぞうきょうはんでん)がある寺で、韓国の三大名刹の一つとなっている。統一新羅時代の802年に義湘という僧により開山された。木造毘盧遮那仏、憧竿支柱、三重の石塔を除いて、広大な境内にある建物は李氏朝鮮時代に再建されたものである。交通がやや不便なため、テグ(大邱)などからの観光ツアーが利用されることが多い。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「海印寺」の意味・わかりやすい解説

海印寺
かいいんじ
Haein-sa

大韓民国 (韓国) ,キョンサンナム (慶尚南) 道陜川郡カヤ (伽 倻) 山にある寺。韓国三大寺の一つ。新羅哀荘王3 (802) 年,順応,利貞が創建。高麗時代には義天が滞在した。韓国の代表的文化遺産である高麗板大蔵経の板木8万枚余を所蔵しているので有名。幢竿支柱,三重石塔などは新羅時代のものであるが,たびたびの火災のため,現在の建物は李朝時代のものである。 1995年世界遺産の文化遺産に登録。

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世界遺産情報 「海印寺」の解説

海印寺

海印寺は、大韓民国南部の慶尚南道陝川郡伽耶面に位置し、標高1340mの山中にあります。新羅の哀荘王の時代(802年)に、利貞と順応という二人の僧によって創建されました。その後数度の火災に遭い、創建当時の物で残っている物は、木造毘盧遮那仏と憧竿支柱と三重石塔のみです。通度寺、松広寺とともに「韓国三大寺」に数えられ、それぞれの寺が「仏・法・僧」に対応しています。1995年にユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。

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世界大百科事典(旧版)内の海印寺の言及

【祖堂集】より

…本書は,このような雪峰に集大成される唐代各地の祖師禅の成果で,文僜には別に《千仏新著諸祖頌》があって,迦葉(かしよう)より馬祖に至る祖師の賛を集めていて,本書のそれぞれの章末に付録される。本書に遅れること50年,北宋の1004年(景徳1)に《伝灯録》30巻が成立し,勅許によって入蔵,本書は《伝灯録》の盛行に圧せられて,中国にその伝を断つが,高麗高宗が彫造する高麗版《大蔵経》の補版として,その32年(1245)に開版され,現在の本は,韓国慶尚南道の伽倻山海印寺に存する版木により,今世紀にはじめて印刷された。《伝灯録》が各時代にわたって開版され盛行したために,その本文にかなりの異本を生むのに比し,本書は今まで読まれなかったために,かえってよく原型を保存しており,語文,思想,歴史などの面で,敦煌文献につぐ新資料として高い価値をもっている。…

※「海印寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」