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奈良~平安時代に官大寺,僧寺と尼寺の国分二寺の次に位置づけられた寺院。字義については寺額の公許=公認寺院の意,一定の数を限って設けられた意とする説などがある。716年(霊亀2)発布の寺院整理の詔に私寺が争って題額を求めたとある。749年(天平勝宝1)諸寺墾田数が定められ,定額寺100町とされたが,この時点で定額寺についての具体例は存在しない。しかし延暦年間(782-806)以降定額寺は急増し,貴族,僧侶,地方豪族の私寺が次々に奏請して定額寺に列せられた。律令政府による保護と統制は強化され,国家から修理料,灯分料の施入があり,経営については国(国司,講師)と寺院(別当,三綱(さんごう))と檀越(だんおつ)が検校し,官寺の末端に位置する存在として国家の繁栄と安穏を祈った。地方定額寺のなかには,国分寺焼失の代りに国分寺となる例もみられる。律令体制の解体にともない,定額寺の存在理由は失われ,990年(正暦1)尋禅建立の叡山妙香院を最後に定額寺の奏請は後を断った。
→官寺
執筆者:西口 順子
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律令国家により官寺に準じる存在として認められた寺院。定額という語の意味については,寺院の定数とみる説,国家から寺院に施される経済保証の定額とみる説,国家から寺号が定められ額を付与される寺院とみる説などがあり,定説はない。皇族や貴族・豪族のたてた寺院を律令国家が公認し保護を加え,同時に統制したものと考えられる。定額寺制は平安中期以降,律令国家の衰退にともなってしだいに衰微した。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
…741年(天平13)には国分寺,国分尼寺の設置があり,地方の国司,国師が監督した。一方貴族,豪族の私寺には一定の用途(修理・灯分料)を支給して国家統制下におく定額寺(じようがくじ)があったが,その数は明らかでない。これら大寺,国分寺,定額寺は主として三綱と上部機構として別当,長吏,検校といった内部機構により寺内を教導監理したが,さらに玄蕃(げんば)寮の下にある僧綱(そうごう)によって統括されていた。…
…国分寺,同尼寺は9世紀に入ると律令体制のゆるみとともに衰えたが,官大寺系の諸大寺の多くは莫大な荘園を所有して,中世に至るまで荘園領主として寺運を維持した。以上の官寺系寺院に対し,奈良・平安時代,政府は私寺乱造の弊害を是正し国家の統制をはかるため,皇族や貴族が建立した寺院のうち,寺額を与えて定額寺(じようがくじ)と定め,修理料などを施入して経営保護に当たり,半官半私の寺院制を設けた。定額寺は全盛期には数十ヵ寺を数えたが,律令制の衰退とともに政府からの実益が停止し,平安後期には院政期の六勝寺に象徴される御願寺(ごがんじ)の制にその位置をゆずった。…
※「定額寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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