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定額寺 じょうがくじ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

定額寺
じょうがくじ

奈良,平安時代寺格の一種。 500~1000束の灯分稲が国から支給され,これを出挙してその利息を灯油料とし年分度者をおいた。その起源は天武9 (680) 年,諸寺の食封の点検を行なって寺の名を定めたことにあると思われる。その目的は私寺濫造の弊を正し,国家統制を加えることにあった。天平勝宝1 (749) 年定額寺の墾田は 100町と定められた。9世紀以後,定額寺の数は次第に増加し 10世紀末頃には 60ヵ寺にものぼった。親王,大臣らの本願寺で定額寺でないものはないほどであった。律令制の崩壊とともに国家の恩典が得られなくなると,申請する者もなくなった。

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デジタル大辞泉の解説

じょうがく‐じ〔ヂヤウガク‐〕【定額寺】

平安時代、朝廷が特に数を限り官寺に準じて制定した寺。私寺の乱造を防ぎ統制を強めるために制定したもので、官稲を受けた。

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百科事典マイペディアの解説

定額寺【じょうがくじ】

奈良〜平安期に官大寺(かんだいじ),国分寺・国分尼寺の次に位置づけられた寺院。716年の詔(しょう)に私寺が争って題額(だいがく)を求めたとあり,749年諸寺の墾田を定めた中に定額寺の記事が見え,796年の太政官符(だいじょうかんぷ)には定額寺の資財・三綱の規定がある。
→関連項目官寺粉河寺

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世界大百科事典 第2版の解説

じょうがくじ【定額寺】

奈良~平安時代に官大寺,僧寺と尼寺の国分二寺の次に位置づけられた寺院。字義については寺額の公許=公認寺院の意,一定の数を限って設けられた意とする説などがある。716年(霊亀2)発布の寺院整理の詔に私寺が争って題額を求めたとある。749年(天平勝宝1)諸寺墾田数が定められ,定額寺100町とされたが,この時点で定額寺についての具体例は存在しない。しかし延暦年間(782‐806)以降定額寺は急増し,貴族,僧侶,地方豪族の私寺が次々に奏請して定額寺に列せられた。

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大辞林 第三版の解説

じょうがくじ【定額寺】

奈良・平安時代、一定数を限り官寺に準じて特典を与えられ、官稲などを賜わった私寺。律令制衰退とともに有名無実化した。勧修寺・醍醐寺など。
鎌倉時代以降、五山などの禅宗の官寺。

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世界大百科事典内の定額寺の言及

【官寺】より

…741年(天平13)には国分寺,国分尼寺の設置があり,地方の国司,国師が監督した。一方貴族,豪族の私寺には一定の用途(修理・灯分料)を支給して国家統制下におく定額寺(じようがくじ)があったが,その数は明らかでない。これら大寺,国分寺,定額寺は主として三綱と上部機構として別当,長吏,検校といった内部機構により寺内を教導監理したが,さらに玄蕃(げんば)寮の下にある僧綱(そうごう)によって統括されていた。…

【寺院】より

…国分寺,同尼寺は9世紀に入ると律令体制のゆるみとともに衰えたが,官大寺系の諸大寺の多くは莫大な荘園を所有して,中世に至るまで荘園領主として寺運を維持した。以上の官寺系寺院に対し,奈良・平安時代,政府は私寺乱造の弊害を是正し国家の統制をはかるため,皇族や貴族が建立した寺院のうち,寺額を与えて定額寺(じようがくじ)と定め,修理料などを施入して経営保護に当たり,半官半私の寺院制を設けた。定額寺は全盛期には数十ヵ寺を数えたが,律令制の衰退とともに政府からの実益が停止し,平安後期には院政期の六勝寺に象徴される御願寺(ごがんじ)の制にその位置をゆずった。…

※「定額寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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