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動物学者。遠江(とおとうみ)国(静岡県)浜松に生まれ、東京開成学校を経て、1881年(明治14)東京大学理学部生物学科を卒業。1882~1885年ドイツのライプツィヒ大学に留学、ロイカルトのもとで動物学、寄生虫学を修め、ウズムシ類の研究や単生虫の生殖腸管の発見などの業績を残した。帰国後の1886年、26歳で東京帝国大学の教授となり、動物学と寄生虫学の講義を受け持つ。その研究は、カイメン類、ウズムシ類、寄生虫類、ヒル類、鳥類など広範囲にわたり、寄生虫では広節裂頭条虫(日本海裂頭条虫)の幼虫をマスにみつけ、自体感染によりマスが中間宿主になることを明らかにしたり、大複殖門条虫の人体寄生第一例の発見などの業績がある。日本における近代動物学の基礎を築き、五島清太郎(せいたろう)など優秀な門下生が輩出した。『人体寄生動物編』(1888)、『動物学提要』(1918)などの著書がある。
[町田昌昭]
(磯野直秀)
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…霞ヶ浦の西岸に突き出る稲敷台地上の,茨城県稲敷郡美浦村に存在する縄文時代中・後期の鹹水(かんすい)産貝塚。E.S.モースの弟子で大森貝塚の調査にも参加した佐々木忠次郎,飯島魁が,1879年に,霞ヶ浦に淡水貝類の調査に赴いた折にこの貝塚を発見し,発掘したもので,日本人の手になる発掘の第1号として有名である。この成果は大森貝塚の報告体裁を見本とし,《Okadaira Shell Mound at Hitachi》(1882)として刊行された。…
…海水槽20,淡水槽9基のこの水族館には,日本最初の循環装置がとりつけられた。これは当時東大教授で動物学界のリーダーであった飯島魁の指導によるものであった。1903年に開設された堺水族館(当初は第5回内国勧業博覧会の施設であったが,後に堺市立となる)も飯島の指導によってろ過循環装置をそなえ,大水槽(幅7.2m,奥行2.4m,水深1.7m)を実現した画期的なもので,いわゆる水族館とよべる本格的な施設であった。…
※「飯島魁」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...
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