高見島(読み)たかみしま

日本歴史地名大系 「高見島」の解説

高見島
たかみしま

[現在地名]多度津町高見

塩飽しわく諸島の一で、その西部に位置し、多度津から海上を北に約七・五キロにある。面積二・五四平方キロ、周囲約六・六キロ。島名は高所のある島とも豪族高見氏の居住したことによるともいう。享禄三年(一五三〇)八月二五日の讃州多度郡高見嶋善福寺堂供養願文が道隆どうりゆう寺に伝来する。この願文によると善福ぜんぷく(現真言宗醍醐派)は大永三年(一五二三)七月焼失し、秀伝が再興を企て、七年後に円瑜が落慶供養を営んでいる。島の伝承によれば、建久年中(一一九〇―九九)に備前島から移住したのが始まりという。浦の大聖うらのだいしよう寺に天正一九年(一五九一)はま八幡宮には慶長二年(一五九七)の棟札があり、塩飽の他の島々と同様に戦国期前後の繁栄が想像される。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「高見島」の意味・わかりやすい解説

高見島
たかみしま

香川県北西部、備讃(びさん)瀬戸に浮かぶ塩飽(しわく)諸島の一つ。仲多度(なかたど)郡多度津(たどつ)町に属す。面積2.33平方キロメートル。開析溶岩台地メサ)の一種で、最高点は297メートル。冬の季節風を避けて、風下側の東海岸に浜、浦、板持の集落がある。頂上まで段々畑で、ジョチュウギクなどが栽培される。農業は女性の仕事で、急な坂を作物などを頭上にのせて運ぶ「イタダキ」とよぶ風習があった。江戸時代幕府から自治制度が許された塩飽七島に属し、人名(にんみょう)は77人を数えた。多度津港から高見島を経て佐柳(さなぎ)島に至る定期船便がある。全島が瀬戸内海国立公園域。人口68(2009)。

[坂口良昭]


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「高見島」の意味・わかりやすい解説

高見島
たかみしま

香川県西部,多度津町に属し,塩飽諸島西部にある島。最高点は 297m。花崗岩上に集塊岩をはさんで讃岐岩質安山岩が載るテーブル型の開析された溶岩台地。段々畑と山頂平地でミカン,ジョチュウギクなどを栽培し,漁業を行う。近年,太陽熱利用の海水淡水化プラントが完成,水不足が解消した。島の南東部はコナラ・クヌギ林,ウバメガシ林があり野鳥宝庫瀬戸内海国立公園に属する。面積 2.33km2。人口 118 (2000) 。

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デジタル大辞泉プラス 「高見島」の解説

高見島

香川県仲多度郡多度津町、多度津港の北西約7キロメートルに位置する塩飽諸島の島。面積約2.33平方キロメートル。島全体が山になっており、南側の頂点をなす龍王山の標高は297メートル。急傾斜に広がる集落では江戸時代の石垣の家並みが見られ、しばしば映画のロケ地としても利用される。

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事典・日本の観光資源 「高見島」の解説

高見島

(香川県仲多度郡多度津町)
香川のみどり100選」指定の観光名所。

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世界大百科事典(旧版)内の高見島の言及

【塩飽諸島】より

…〈しあくしょとう〉とも呼ぶ。おもな島は塩飽七島と呼ばれる本島(ほんじま),広島,牛島,手島(以上丸亀市),櫃石(ひついし)島,与島(坂出市),高見島(多度津町)である。古来,内海の水運の拠点であった。…

※「高見島」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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